日本人は「今」に生きる

MBO(目標による管理)は、今は多くの企業で取り入れられているようです。現在のレベルに対して目標を設定する。それを上司と合意し、半年とか一年後にその進捗を双方で確認するという制度ですね。

 

非常に合理的だしわかりやすく、評価にも使用されることもあるようです。しかし、実態の運用はどうなっているのでしょうか。私の個人的経験からも、ギャップを示し、それを埋めていくといういかにも合理的なプロセスが、どうもしっくりいかないのです。

 

その気持ち悪い感は、どうやら日本人の特性に根ざしているように最近思っています。課長とMBOインタビュー中の営業マンの、心の中を想像してみましょう。

 

「そんな!今期1億円の実績を上げたからって、来期いきなり1.5億円の目標はないでしょう。今期は、三年かけて仕込んだ新規大型先が受注できたから1億いったけど、そうそうそんなネタはないよ。だいたい年初から急激に景気が冷え込んでいるのは課長も知っているじゃないか。一年後どうなるかなんて、皆目わからないよ。そんな空手形切って、目標達成できなかったらボーナスカットの口実にするつもりだろ。上から振られた目標だろうけど、部下に割り振ればそれで達成した気になっているのだから、いい気なもんだ・・。」

 

こんなことを心の中で思っていても、口では「わかりました。大変とは思いますが、精一杯がんばってみます。」なんて、言ってしまうのでしょう。

 

課長のほうも、彼の心の底はよくわかっているのです。でも、仕事だからお互いMBOインタビューの席で、正しい上司と部下を演じなければならないのです。

 

 

さて、私が日本人の特性を言ったのは、この時間に対する観念です。我々にとっては、過去は水に流すべき対象であり、未来はうつろいやすく捉えられないはかないものなのです。だから、「今」に生きるしかない。

 

加藤周一が、「日本文化における時間と空間」にこう書いています。

 

無限の直線としての時間は、分割して構造化することはできない。すべての事件は神話の神々と同じように、時間直線上で、「次々に」生まれる。それぞれの事件の現在=「今」の継起が時間に他ならない。すでに過ぎ去った事件の全体が当面の「今」の意味を決定するのではなく、また来るべき事件の全体が「今」の目標になるのではない。時間の無限の流れは捉え難く、捉え得るのは「今」だけであるから、それぞれの「今」が、時間の軸における現実の中心になるだろう。そこでは人が「今」に生きる。

日本文化における時間と空間 日本文化における時間と空間

by G-Tools

 

 

このような時間に対する感覚は日本人特有のものでしょう。キリスト教の国々では、時間の始めと終わりが明確で、そこから分節して現在を把握するそうです。

 

人の時間感覚は、そう簡単に変わるものではありません。未来から逆算するのではない、「今」を重視するマネジメントを考えてみることも必要かもしれません。

 

もうひとつ、日本人の特徴はまじめで過剰適応することです。一旦目標達成を約束したら、どんな手を使ってでも約束を守ろうとする傾向があります。(もちろん美徳ともいえますが)いろいろ言われていますが、成果主義失敗の原因も、こんなところにもあるのかもしれません。

 

 

日本人は(ステレオタイプですが)、きちんと対すれば決して「今」をおろそかにはしないはずです。体質に合わない合理的経営を押し進めるのも、ほどほどにしたいものです。

 

***************************

補足しておきますが、MBO自体は、本来の育成を目的に使用することにおいては、有効な手段と思います。目標をキーにして、上司と部下がダイアログすることは、かつてのようには、なかなか一対一でダイアログする機会が取れない現状を考えれば、なおそうでしょう。問題は、安易にMBOを評価に使用することだと思います。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 日本人は「今」に生きる

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.adat-inc.com/cgi-bin/mt-tb.cgi/297

コメントする

このブログ記事について

このページは、福澤が2010年4月21日 13:42に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「「国芳展 ~奇と笑いの木版画~」を観てきました」です。

次のブログ記事は「多田富雄氏逝く」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1