一緒に飯を食え:田中角栄流ダイアログ

昨年政界を引退した河野洋平氏が、こんなことを書いていました。

 

「仲間と新自由クラブを創設するため自民党を脱党する時、脱党の理由のひとつでもある田中角栄氏に挨拶にいった。田中氏は、脱党に理解を示した上で、こうアドバイスしてくれた。『いいか、とにかくできるだけ仲間と一緒に飯を食え。それさえしていれば大丈夫だ。』その数年後、同志の西岡氏が脱党したとき、あの時の田中氏のアドバイスの意味を痛感することになった。」

 

 

一緒に飯を食うことに、一体どんな意味があるのでしょうか。結党の同志たちですから、一緒に議論する機会はいくらでもあったでしょう。でも、議論の場だけではだめだということではないでしょうか。食事をともにするということは、議題も議長もない状態で無目的に対話(ダイアログ)をすることなのだと思います。田中氏は、ダイアログすることの価値を深く理解していた。

 

ダイアログは、意見を交わすことではなく、意見の根底にある前提、さらにその根っこにある思考プロセスや価値観をさらすことです。必ずしも、合意を求めるようなことではありません。集団で理解しあい、時間を経て結果としてそれらがすり合い共有するプロセスということもできます。

 

ましてや、食べるという行為はもっとも本能的な行為です。人間は、そういうときは「思考」というフィルターが外れやすいものです。その回数が増えるにしたがって、さらにその効果は高まることでしょう。そうして、集団で意味の共有が図られ、やがて「文化」にまでなっていく。そうなったら、強い組織になる。

 

 

政治の世界で天才的な勘と実行力を示した田中氏にとって、ダイアログは必須の技術だったのかもしれません。それを、政敵ともいえる河野氏にアドバイスするとは、やはり器が大きな人だったのですね。

 

そういえば、キヤノンでは、役員は毎朝8時に集まって雑談をすることが習慣になっていると聞いたことがあります。キヤノンの強さも、この早朝ダイアログにあるかもしれません。

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このページは、福澤が2010年4月 2日 19:56に書いたブログ記事です。

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