空間、言語、概念、美:土偶展を観て

昨日、国立博物館で「土偶展」を観てきました。大英博物館での展示の移動展です。縄文土器はたくさん触れる機会がありまたが、土偶をまとめて観る機会はほとんどありません。想像以上に、素晴らしい展示でした。縄文人の思想やものの見方まで想像できそうな気がしたほどです。

 

数日前の日経文化欄に面白い記事がありました。例のごとくうろ憶えですが。

 

  ラスコー2.jpgラスコー洞窟の壁画は数万年前の人類が牛や馬を描いたものだが、遠近法も使われている。遠近法は空間把握能力と関係がある。子供がよく頭からいきなり足が生えているような絵を描くが、それは言語の能力と関係がある。驚くほどリアルな絵を描いた幼児が、言葉を覚えるに従って幼稚な絵を描くようになってしまうという研究がある。頭から足が生えているような絵だ。そして、その絵の横には、パパと書いてある。つまり、左脳が発達し言語能力が高まることにより、絵は抽象化していくのかもしれない。

 

私なりに解釈すると、人間はふつう成長し空間把握能力が高まればラスコー洞窟画のようなリアリティーのある絵画表現ができるようになる。言語能力が発達すると、リアリティーある絵画表現は不要になり、言葉で置き換えるようになる。(したがって、ラスコー洞窟画時代の人類はまだ言葉を使えなかったかもしれない。)その結果、リアリティー溢れる絵画表現は苦手になり、幼児の絵のように記号化する。また、視覚として見える像をリアルに描くのではなく、自分に「見えた」像を描くようになる。つまり視覚ではなく認識や印象を描くようになる。(デフォルメ、抽象化)さらには、視覚情報とは別の概念を描くようになる。(概念化)それらとは別に、美的感覚が養われ、「美しさ」を描くようになる。近代までの職業的画家は、このような流れに逆らって具象を表現する技術を磨くことにより、敬意を集めた。

 

以上が、その順番で発達するかどうかはわかりません。紀元前2,3千年前の縄文人が製作した土偶には、リアリティーは感じませんが、デフォルメや概念化や美的感覚を感じることができました。例えば、「縄文のビーナス」は女性の身体の特 縄文.jpg徴をデフォルメして見事に表現し、そこには母性への敬意という思想概念を表現しつつ全体のバランスの美しさは見事です。その他の土偶にも、概念化や美的感覚を大いに感じます。縄文人の文化、言語能力は非常に高いものがあったのだと思います。(三本指の人間表現が、縄文土器には多くあります。それは、月を崇拝する当時の信仰を表現しているとの解釈もなされています。)

 

 

ピカソの絵の変遷に代表されるように、具象、抽象、デフォルメなどは一方向の進化ではなく、すべてをバランスよく認識し、保有することが人間にとって自然なのではないかと思います。ようは、どれも大切なのです。晩年のピカソやマチスが、幼児のような絵を描いたことは有名ですが、あそこまで芸術を突き詰めた人間の、自然な姿なのかもしれません。

 

 

現代は、言語に支配されている傾向にあります。つまり左脳社会です。そのバランスを取る意味でも、土偶のような古代人の表現が、イギリスや日本で大きな話題を呼んだのは当然だという気がしました。

 

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 空間、言語、概念、美:土偶展を観て

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.adat-inc.com/cgi-bin/mt-tb.cgi/265

コメントする

このブログ記事について

このページは、福澤が2010年2月21日 10:25に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「ほめて育てることの難しさ」です。

次のブログ記事は「創造性と美学」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1