ほめて育てることの難しさ

最近の人材育成では、「ほめて育てる」派が隆盛に見えます。頭ごなしに叱るより、ほめてその気にさせるほうが、育成効果が高いとの判断なのでしょう。

 

逆に、職場で上司が叱ることができないため、研修の場などで外部講師に叱らせることも多いと聞きます。Good copは上司で、Bad copが外部講師というわけでしょうか。

 

ほめることは大切だと思いますが、何をほめるかにより効果は変わってきます。そもそもどんな効果を狙うのか。短期的には、やる気になることを狙い、長期的には成長を狙うのが普通です。

 

 

「二十歳すぎればただの人」という言葉がありますが、それはなぜなのか。頭脳の発育スピードの違いもあるかもしれませんが、別の側面もあるかもしれません。

 

優秀な子は、ほめられることに慣れるでしょう。そううなると、それを維持するプレッシャーを感じます。それがさらなる努力に結びつけばいいのですが、えてして人は失敗します。そうなると、優秀でなければならない自分と、そうでない自分(たまたまかもしれませんが)とのギャップで苦しみます。他者からどう見られるかが、行動基準になります。こうなると、努力は楽しいものではなく、苦しいものになります。努力するのは、自分が劣っているからと思うからです。理想は、試験前日も遊んで満点を取る姿です。

 

一方、それほど優秀でない子でも、少し点数が上がれば達成感や自己効力感を味わい、かつそれをほめられると努力することが楽しくなってきます。一種のゲームです。そうなると、ぐんぐん成長するでしょう。そして、二十歳くらいになると、両者の能力レベルは交差するかもしれません。

 

前者は現在の能力の高さをほめられ、後者は努力をほめられました。これは、大きな違いです。現在をみるか、将来を見るかの違いとも言えます。成長を促すのは、成長すなわち努力をほめることであり、現在の能力の高さをほめることは、場合によっては成長を阻害しかねません。

 

 

社会に出ると、個人の能力の差なんてたいしたことありません。差が大きいのは、成長を望む意思です。その意思が促されるような働きかけを、周囲がしているかどうかです。そういう職場や組織では、ほめようが叱ろうが、人は育っています。

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このページは、福澤が2010年2月18日 14:01に書いたブログ記事です。

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