教えることは学ぶこと

教えることは学ぶこと。これには二つの意味があると思います。ひとつは、教える現場での学び、二つ目は準備段階での学びです。

 

 

ひとつめ。

特に企業研修の場では、講師も受講者も「学ぶ」という一点においては同等です。受講者がビジネスパーソンの場合、講師より経験でも知識でも上回ることは珍しくありません。また、自分(講師)にない視点を提供してくれます。なので、講師が、教えながら受講者から学ぶのは当たり前のことです。

 

 

ふたつめ。これが、ものすごく重要です。

講師を務めるには、膨大な準備が必要です。担当するテーマについて、講師は豊富な経験や知識を持っているのもまた当然ですが、それらは断片的な経験や情報、知識の蓄積であり、倉庫に雑多にぶち込まれている状態です。とはいえ、本人はどこに何があるのかは把握しており、必要があれば割と容易に引き出せます。

 

ところが他者に教えるとなったら、話は全く別です。他者たる受講者に、そんな倉庫をただ見せても、何がなんだかわかりません。

 

そこで、倉庫内の棚卸と整理が必要になります。これが大変です。まず、何が教えるのに値するのかの仕分けが要ります。そこでは、一定の概念化がなされるはずです。単なるデータや情報ではなく、ある目的に合致した知識のレベルに抽象化しないと、伝えることはできません。

 

次に、教えたい情報や知識(コンテンツと呼びましょう)が、それぞれどういう関係にあるかを整理します。一見ばらばらに見えるコンテンツにも関連性があります。そして、学ぶのに最も役立つのは関連性だからです。

 

次には、学び手の頭の構造を想定した上で、コンテンツを展開する流れ、すなわちストーリーを創る必要があります。やはり、ドラマチックな展開のほうがインパクト強く学び手の頭に入りますので、それも意識したいです。自分が言いたい順番と、他者が知りたい順番(すなわち渇望感)、そして他者が理解しやすい順番は異なります。

 

このように、結構大変です。このプロセスは概念化とコミュニケーションのプロセスともいえます。つまり、他者の視点を組み込んだ(したがって独りよがりではない)経験学習がなされているとも言えるのです。非常に効果的な学習がなされるはずです。そして、それは大きな財産となります。一度、このプロセスをやりおおせれば、自分の頭の中が整理できるだけでなく、経験学習の仕方も体得できるからです。そうなれば、学習能力もぐんとアップするでしょう。

 

こんなに素晴らしい体験を、外部の講師だけにやらせておくのはもったいない。研修といった特殊な状況に限定せず、社員が教える機会を、もっともっと増やすべきだと思います。忙しさにかまけて教えないと、自分も学べなくなるのです。ただし、倉庫を開けるだけでは意味がないことは、言うまでもありません。正しい手順に従いましょう。

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このページは、福澤が2010年1月18日 14:16に書いたブログ記事です。

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