土曜日、目黒区美術館に「文化資源としての<炭鉱>展」を観てきました。事前の評判もよく、炭鉱には何となく興味があったので、是非観たいと思った企画です。
美術と炭鉱がどうつながるかは、観てのお楽しみですが、炭鉱が文化資源だという視点がまずユニークです。最近は、産業遺産という言葉は一般的になりました。富岡製糸工場が有名ですね。軍艦島も、最近の人気スポットです。旧産業の廃墟を歴史資産として見直そうというものでしょう。
産業は、当たり前ですが多くの人間により成り立っています。その人間の営みに注目したのが「文化資源」という言葉だと思います。そして、さらにその「資源」から、これからも文化や芸術が生まれてくるのだと位置づけているのです。
十年くらい前から、イギリスから「フルモンティ」「ブラス」「リトルダンサー」という衰退する炭鉱を背景にした優れた映画が生まれました。日本でも、「フラガール」のヒットは記憶に新しいところです。
一つの大きな産業が衰退、消滅するということは、ものすごいことです。そこから、文化もう生まれずにはいられないのです。
さて、私が愛知県の小学生の頃、九州から多くの転校生が来ました。彼らの親は炭鉱で働いていたのですが、閉山となったので、当時盛況の繊維業での働き口を求めて、多くの家族が移ってきていたのです。
言葉の違いはすぐに慣れましたが、何となく習慣が異なるような気がしたものです。(鶏を絞めて食べたのには驚きました)
やがて、繊維業も輸入品に押され衰退していきました。しかし、幸いなことに、トヨタという地元優良企業が余った雇用を吸収したのです。
このような産業の盛衰は、否応のないものです。問題は、いかに席を譲るべき産業をスムーズに安楽死させるかだと思います。最近の状況は、延命策ばかりを弄して、適切で配慮の行き届いた安楽死を促しているようには思えません。
でも、それが政府の役割でしょう。自動車産業が、炭鉱や繊維業のようになった時、その影響はそれらを大きく上回るでしょう。自動車産業がどうなるかはわかりませんが、準備は必要でしょう。(デトロイトを見るまでもなく)
一つの産業が衰退し消滅するということは、独自の文化を生み出すほど、人々の大きな影響を与えるのですから。
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