今朝の日経「私の履歴書(益川敏英氏)」に、こんな言葉がありました。
高校生くらいの知識ですらすら読める水準の本ではない。でも、本というのは面白いもので、時間を置いて少しずつ目を通すと、以前はわからなかったところが、突然理解できたりする。それは自分も気づかないうちに、知識が蓄積されるためだ。
こういうことって、ありますよね。時間を置くということが、大切なのでしょう。きっと、新しい知識は、すぐには既存の知識とは結合されない。しかし、時間をかけることにより、脳の中にある関係しそうな知識との間で、結合したり、補完したりして、新たな位置(意味合い)を確保するのではないでしょうか。
これは、科学系の本だけのはなしではなく、小説でも、音楽でも絵画でもそうです。初めて聴いていいなあと思った曲が、何度も聴くうちに飽きてくることも多いですね。でも、最初は、「ふーん」くらいにしか感じなかった曲でも、何度も聴くうちにすごく良くなり、しかもずっと飽きないということは、多くの方が経験することではないでしょうか。(もちろん、初めて触れて一気に刺さる傑作もありますが。)
前者は、既存の体系の中で、すぐに位置を占めることができるので、簡単に理解できるのですが、それ以上のものにはなり得ない。いずれ埋没する。しかし、後者は、脳の中で新たなシナプス結合が起き、全く新しい刺激となる。そして、深く刻みこまれる。こんなことが起きているのではないでしょうか。
そう考えると、知的喜びも、美的喜びも脳の中では同じ現象なのかもしれません。大事なのは、常に新たな刺激、結合を追い求める姿勢なのでしょう。
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