20年前の今日、ベルリンの壁が崩壊しました。早いものですね。当時、私はストックホルムの大学院にいました。変化の胎動というべきか、えもいわれぬ熱気が漂っていたことを思い出します。その2週間ほど前、大学院の企画でゴルバチョフ政権下のソ連を訪れ、共産社会の衰退を目の当たりにしていたので、それほどの驚きは感じませんでした。
当時、東独の人々は、壁の崩壊と、間髪いれぬ西独との併合に、きっと大きな夢を描いたことでしょう。それまでは、自由の夢は虚構に過ぎず、現実にはなりえなかったのでしょうから。それが、一気に変化しようとしていたのです。
そして、20年が経ちました。彼らの夢はどうなったのでしょうか。報道を見る限りでは、夢破れ希望を失い、旧体制に戻りたいと考える人も数多く出てきているようです。
人間は現実の中で生きていかなければなりません。しかし、現実だけでは生きるエネルギーが湧いてきません。そう、夢が必要なのです。夢はかなうかどうかが問題なのではなく、かなう可能性が少しでもあると思えるかどうかが、重要なのだと思います。
現実から見て、夢が実現する可能性が少しでもあれば、そこに希望が生まれます。逆に、その可能性がないと諦めてしまえば、絶望になります。
企業組織でも同じだと思います。入社早々の新入社員のきらきらした眼は、いつまで続くのでしょうか。かつてのように、マイホームを持つ、(適度に)出世するという夢を希望にして生きることは難しくなっています。それに代わる夢を、経営者はすべての社員に描かせることができているのか、そして、実現可能性を感じさせ、希望を抱かせることができるのか。
日本の企業組織は、現実を直視しつつも、社員に夢と希望をもたらすことが、最も重要な存在理由だと私は思います。もしそれがなく、契約関係(損得)だけで成り立っているとしたら、給料以上の働きはしないでしょう(もちろん、それを前提の組織をつくる道もありますが)。その場合、競争力は格段に落ちるはずです。
社員のロイヤリティーが下がったとか、モチベーションが低いとか、自律させなければ(言語矛盾です)とか、様々な課題を耳にします。そうなんでしょう。でも、その原因は、社員にあるのではなく、夢を見せられない経営陣にあることを忘れてはなりません。自分たちの頃は、そんなものは自分で考えたなどと、言えはしないのです。
ベルリンの壁崩壊から20年。世界は、少しは良くなったのでしょうか。良くするには、国家や企業は、どのような夢を描くべきなのでしょうか。
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