利他行動とこれから

先日、NHKニュースで面白い実験映像を見ました。隣接した二つの檻に一匹ずつチンパンジーを入れます。檻の間、肩の高さの位置に、手が入れられる程度の大きさの隙間が空いています。また、片方の檻だけ、外側の面の下のほうには、やはり手だけ出せる程度の隙間があいています。こちらチンパンジ利他.jpgーを太郎としましょう。もう片方は花子です。

 

太郎の檻の外側に果物ジュースのカップが置かれました。杖でもあれば、隙間から杖を使って檻の中に入れて飲むことができます。そこに、花子の檻の中に杖が投げいれられます。ただ、花子にとって杖は何の意味も持ちません。

 

それを見た太郎は、おもむろに間に隙間から手を花子のほうに差し入れます。「杖をくれ」と言っているのでしょう。すると、花子はどうするでしょうか?杖を渡したとことで、花子には何のメリットもありません。この実験を、チンパンジーを代えて繰り返したのです。

 

結果は、ほぼ6割のケースでは、花子は杖を太郎に渡しました。両者が親子の場合は、ほぼ9割が渡したそうです。これは驚くべき結果です。チンパンジーは、自分の得にならなくても(ご褒美なし)、他者のための行動をするということです。つまり利他行動です。人間固有の特性だと考えられていた利他行動を、チンパンジーも取ることがわかったのです。

 

ひるがえって人間は、人間たらしめると考えられていた利他行動から少しずつ離れ、利己的行動に重心が移っているのかもしれません。

 

そもそも経済学では、人間は利己的な行動をとると仮定しています。ほおっておくと自分勝手な行動を取るので、それを抑えるのが国家・政府の役割だという位置づけです。

 

もう一つの概念に、公共性があります。本来公共心が強かった日本人は、国家という共同体を絶対視し、戦争に突入しました。そして、今度はその反動で、戦後はコミュニティーとか公共とか自己犠牲、利他行動などにアレルギーを持ったとも考えられます。(利益追求機関である企業に唯一共同体を求めてきたのが皮肉ですが)

 

そこに、冷戦終結後のアメリカ絶対主義が、政治と経済の両面で日本に押し寄せました。そして、ぬるま湯を許さなくなったバブル崩壊。このトリプルパンチが、近年の日本の社会を形づくっているといえるかもしれません。

 

しかし、昨年のリーマンショック以来、流れが変わりつつあるようです。これから、どっちの方向へ向かっていくのでしょうか。チンパンジーの行動に驚き、あらためて自分と自分が属する社会のことを考えてしまいました。

 

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このページは、福澤が2009年10月17日 15:15に書いたブログ記事です。

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