先週の日曜日、国立劇場で行われた「東大寺 修二会の声明」公演を観てきました。
修二会とは、大仏開眼の年(752年)から一度も休まず毎年続いている東大寺の法会です。「お水取り」の呼称で有名です。
何よりすごいのは、平家による東大寺焼き討ちをはじめとした幾多の危機にも途絶えず、1258回も続いていることです。
私も、何度か東大寺二月堂を訪れ、お水取りのお松明を浴びに行ってきましたが、一度だけ内陣で深夜行われている行法を、格子越しに覗いたことがあります。わずかばかりの蝋燭の炎で、かすかに見える僧侶の躍動と、何やらこの世のものと思われぬ声、そして時折聞こえる板を打ちつけるような激しい音、が時空を超えて眼と耳に入ってくるようでした。
それを、一部ではありますが、国立劇場の舞台で再現したのです。今回、初めて内陣(再現)を垣間見たわけですが、あらためて音の力に圧倒されました。声を含む音が、人間の感情に作用する力を計算しているのかもしれません。
この法会は、たぶん1258年前とほとんど変わっていないと思います。天平の人々の動きと音が、冷凍保存されているかのようです。それが年に一回、必ず解凍されて維持される、その歴史の力のすごさを、舞台を見ながら感じていました。歴史の荒波にもまれながらも「残る」ということは、どんな世界でも驚嘆します。
伝統とは、常にその時代の新しさを加えていく作業だという考え方が日本にはあると思いますが、「加えない」ということは、もしかしたらそれ以上のパワーを必要とするのかもしれません。
とにかく、古代の人間の荒ぶる魂のようなものに直接触れられた得がたい経験でした。フェノロサは薬師寺東塔を「凍れる音楽」と評したそうですが、修二会は「凍れる魂」なのかもしれません。
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