ダイアローグ(対話)の難しさ

最近やっとダイアローグという言葉が、一般的になってきたようです。私が最初に耳にしたのは、今を去ること14年前、ピーターセンゲの名著「The fifth discipline」の翻訳最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か」 を読んだ時です。
Peter M. Senge
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そこで、初めてディスカッション(議論)との意味の違いを知りました。ディスカッションは自己の意見を認めさせる、基本は対立構造に根差し、ダイアローグは他者の意見を取り入れ、よりよい主張をつくりあげていう協調的活動です。

 

こう書くと、欧米人はディスカッションが得意で、日本人はダイアローグが得意と思われるかもしれませんが、必ずしもそうではないようです。

 

ダイアローグは妥協や調和ではありません。あくまで他者とやりとりを通じて、自己の意見を高めることが目的です。なので、日本人には、苦手のような気がしますし、なかなか理解も難しいようです。

 

ダイヤモンド社さん/東大の 中原淳准教授との仕事の中で、企業の人事の方に「雑談」と「議論」と「対話」の違いを理解してもらうためのショートドラマを、プロの俳優に出演いただき制作したほどです。

 

 

なぜ、苦手なのでしょうか?

 

ひとつは、自己の意見へのこだわりがそれほど強くないため、諦め妥協しやすいこと。二つ目は、逆に防衛本能が働き、対立構造になってしまうこと、このどちらかになりやすいのだと思います。

 

言いかえれば、対話において欠かせない、対等な立場で違いを際立たせ、違いを認め、さらに取り入れるという一連の活動に慣れていないのではないでしょうか。これには、諦めず、更なる高みを目指す忍耐も必要です。

 

 

同質化された社会であれば対話は不要でしたが、多様化が進み、創造力が勝負の決め手になる社会になれば、ダイアローグの技術は必須といえるでしょう。ダイアローグが学びとその先にある創造性を育むのです。

 

本来は、子供のころから対話を習慣づけるべきだと思いますが、それなくして大人になってしまった我々はどうすればいいのでしょうか?謝罪会見を繰り返す経営者、的を射ない会見と質疑応答をする政治家、パネル形式を取りながらも、自分の意見しか言わない文化人・・・、を目にするたびに、その困難さを感じます。

 

でも、諦めないで、ダイアローグの技術を高める方法を考えていきましょう。

 

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このページは、福澤が2009年9月 9日 13:46に書いたブログ記事です。

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