能には、地謡といういわばコーラス隊が付きます。一列4名で二列並び、舞台に向かって右側に、舞台側(脇正面側)を向いて座ります。この中のリーダーを地頭といって、後列右から二番目に座ります。(オーケストラのコンサートマスターは、最前列に座りますので、逆ですね。)
また、舞台後方には、後見といって、シテの服装を直したり、道具を片づけたりする人が二名座ります。単なる黒子と違って、シテの台詞の間違いを正したり、シテにトラブルが発生したりした場合の
代役も務めることになっています。従って、弟子ではなく、シテと同等かそれ以上の演者が務めます。
このように、能では、実力者が後ろにまわって支える構造があるようです。
私はこれまで、地頭の前で謡うような機会はありませんでしたので、なぜ地頭は前ではなく後ろにいるのだろうと、少し疑問でしたが、その機会が一昨日訪れました。
一昨日の土曜日、観世九皐会の全国のお弟子さんの合同発表会に参加しました。といっても、東京における観世喜正師と長沼範夫師の両社中(弟子の集まり)合同(約30名)で、「高砂」を連吟(大勢で一緒に謡うこと)する舞台の末席に加わっただけなのですが。
私は4列ある中の、最後列に座りました。もちろん、実力順ではなく、苗字のあいうえお順です。さらに、私の後ろに両師が座り、地頭のような形でリードしていただきました。
後ろから聞こえてくる両師の声は別格で、まさに後ろから押しだされるような感覚に見舞われ、なんとか負けないように声を張り上げました。その時、なるほど地頭が後ろに座り、他のメンバーに勢いを与え押し出すのは、理に適っているなと実感しました。
きっと、後見の存在も同じで、シテは後ろに座っている後見の精神的支え(声こそ出しませんが)を感じて、安心して舞うことができるのだと思います。
このように、先頭で集団をリードする欧米型のリーダーに対して、後ろから集団を支え、押し出す日本型の「頭(かしら)」の存在は、興味深い気がします。
最近では「サーバント・リーダーシップ」という言葉もありますが、日本的な組織のあり方を、もっと肯定的に捉えて、普遍化することも必要なのかもしれません。
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