海軍あって国家なし

毎年この時期は、戦争関連のTV番組が続きますが、先週のNHKスペシャル  「日本海軍 400時間の証言」 (全三回)は、出色でした。

 

(以下、NHKHPより第一回の紹介文です)

太平洋戦争の開戦の鍵を握った大日本帝国海軍・軍令部。全ての基本作戦の立案・指導にあたり、絶大な権力を持った『軍令部』の実態は、資料が殆どなくこれまで闇に包まれていた。

「海軍反省会」。戦後35年が経過した昭和55年から11年間、海軍の中枢・『軍令部』のメンバーが中心となって秘密に集まっていた会合である。7080代になっていた彼らは、生存中は絶対非公開を条件に、開戦に至る経緯、その裏で行った政界・皇族・陸軍などへの働きかけなどを400時間にわたって仲間内で語っていた。戦争を避けるべきだと考えながら、組織に生きる人間として「戦争回避」とは言いだせなくなっていく空気までも生々しく伝えている。

 

第一回のサブタイトルが、「海軍あって国家なし」でしたが、これは全回にわたって基調となっている言葉です。(2,3回のサブタイトルは、それぞれ「特攻 やましき沈黙」「戦犯裁判 第二の戦争」)

 

この番組を見て、戦中から続くこの体質が、途切れることなく現代に続いていることを痛感しました。そもそも、中枢にいたエリートたちが、その体質090811_b.jpgのまま戦後の日本復興を支えてきたのです。

 

「暴力犯の陸軍に対し、知能犯の海軍」とある参加者が語っていました。有名な東京裁判で死刑になったのは東条以下陸軍高官のみで、海軍高官は一人も死刑になっていないことを知りました。

 

役所の縦割り行政、企業の部門間の壁など、全体最適より部分最適を希求する日本の組織のオリジンを見た思いです。

 

では、なぜそもそも国家を守る機関であった海軍が、自組織維持を目的化するようになっていったのでしょうか?番組は、そこまで踏み込んでいません。

 

 

企業で考えてみましょう。A部門の社員は、A部門長によって最終的には評価されます。だから、A部門社員が部門の利益最大化を図るのは当然です。(もちろん会社全体のためという価値観は大切ですが、一般に価値よりメリットを重視するのです)

 

では、A部門長を評価するのは誰でしょうか?社長か、役員会(的な機関)でしょう。社長も他の部門長や役員も、同じエリートの「仲間」です。仲間を厳しく評価できません。なぜなら、自分にも火の粉が降りかかってくるかもしれないからです。

 

そして、空気としての不可侵条約が結ばれるのです。A部門はB部門と、社内で激しい競争を繰り広げている(予算獲得や昇進競争などで)かもしれませんが、最後は不可侵です。(裏での政治工作はあるかもしれませんが)

 

これは、企業を業界、部門を企業と置き換えても、ほぼ同じでしょう。

このようなインサイダーシステムには、組織外の視点が極端に少ないのが特徴です。つまり、それでも会社は潰れないで維持できるだけの好ましい環境にあったのです。

 

もちろん、現在環境は厳しくなっています。しかし、親方日の丸や規制によって守られている業界では、まだ継続を前提としたインサイダーシステムが生き残っています。

 

 

8/30の総選挙では、このような継続性やインサイダーシステムに、国民がどう判断を下すのかが問われているのだと思います。

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このページは、福澤が2009年8月14日 11:18に書いたブログ記事です。

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