「齢を重ねるということは、賢くなるということだ。」と、教えられてきたように思います。では、賢くなるということは、どういうことでしょうか。
一般に「大人になる」とは、「世間に合わせて生きろ」とか、「長いものには巻かれろ」と同義語といってもいいでしょう。社会が安定し、経験が十分に生きる世の中であれば、それが、賢い生き方だったのです。
つまり、齢を重ねること(大人になること)は、賢くなることであり、賢くなることは、世間に合わせていくこと、となります。一種の処世術です。
最初の命題は、今でも生きている気がします。そうでなければ、困ります。しかし、二つ目の命題は時代に影響を受けるはずです。
今、本質的な賢さの意味を考えてみることも、無駄ではないでしょう。
年齢とともに増す賢さとは、何でしょうか?もちろん経験を重ね、知識も増えるでしょう。知識も一要素に違いない。知識を使いこなす知恵も賢さの重要な要素です。でも、なんかまだ足りない気がします。
齢を重ねることにより、自分自身がわかってくる気がします。身の程がわかってくるというか、自分の中でどうしても変わらないものが見えてくるような感じです。
「自分の中で変わらないもの」を自覚し、それに合わせたスタイルで生きていくこと、それが賢くなるということではないでしょうか。
しかし、世間は、どうやら正反対の方向に向かっている気がします。
「人間は、いくつになっても変われる。いや、変わらなければならない。それができない人は、負け組だ。」
そんな風潮で、子供も若手もベテランも、みんな無理しているのではないでしょうか。
好きなこと、得意なこと、そしてその源にある才能、それを見つけて伸ばすことが、本当の人材開発なんだと思います。
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