教養って何だろう?

爆笑問題出演のNHK番組「日本の教養」が面白いです。どこが面白いかというと、毎回異なる学界の権威者に対して太田が、すごく常識的な疑問や突っ込みを入れるところです。大学や学会では、絶対出てこないような意見です。

 

権威者の立ち位置は、それぞれの専門分野にあります。それに対して、太田の立ち位置は、単なる素朴な一個人にしかすぎません。でも、その太田の質問や意見に、権威者がたじたじとなったり、妙に感心したりするのです。普通は、権威者の発言に一個人が感心するはずなのに。

 

逆説的ですが、普通は権威者=教養、なんでしょうが、この番組を観ていると、時に太田が教養を体現しているように感じることがあります。そこが、何とも面白いのです。

 

 

そうなると、教養とは何だ?との疑問がわきます。正解などないのでしょうが、私は「世界を把握し、そこに自分を位置づける力」だと定義しています。

 

来週から、東京国立近代美術館で「ゴーギャン展」が開催されます。今回の目玉は、名作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」です。

我々は・・・.jpg 

まさに、この言葉です。この疑問に答えるべく学問は発展してきたと言うこともできるでしょう。きたところ、行くところ、それは世界の捉え方を表していると思います。そして、その世界に自分自身がどう関わるのか、それれが「何者」の意味ではないでしょうか。所詮、最後は主観にしかすぎないでしょう。

 

この疑問に、それぞれの角度から切り込んでいったのが、特定の学問分野です。権威者は、ある一場面での権威にしかすぎません。それに対して、太田は主観的な総体として、切り込もうとしているのです。だから、教養を感じるのかもしれません。

 

では、どうすれば教養を身につけることができるのか?

大きなテーマですので、別途考えてみようと思います。

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このページは、福澤が2009年6月25日 15:41に書いたブログ記事です。

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