Invite:自らの意思と思いこませる

昨晩、NHKBSで小澤征爾さんのインタビューが放映されていました。自宅のTVではBSは映りません。たまたま、自宅近くのジムのランニングマシン上に設置されている小型TVのおかげで観ることができました。(なので、観たのはわずか30分程度)

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どの世界でも、一流といわれる方の話は、圧倒的に面白い。しかも、どこか共通点があります。うろ覚えですが、再現してみます。

 

Q:そもそも、なんでオーケストラには指揮者が必要なんですか?

A:楽団員は、世界中から集まり、しかも様々なスクールに属しています。同じ楽譜を読んでも、少しずつ表現スタイルが違うのです。それを、演奏会である一貫したスタイルで演奏してもらうには、指揮者が必要なんです。とりあえず、今回は指揮者の考えるこのスタイルでいこうと、思ってもらうわけです。でも、普通2割は、言うことを聞いてくれません。

 

楽譜はコンテンツであり、作曲者の意思が、文字や記号で表現されています。しかし、楽譜ですべてを記録するのは不可能です。そこに、解釈の余地が出てきます。だから、その都度統一した解釈をする指揮者が必要なのです。

 

つまり、コンテンツは一つでも、コンテクストは無限にある。落語でも、演劇でも経営でも何でもそうですね。コンテンツという制約があるからこそ、コンテクストで創造ができるともいえます。

 

 

Q:どうやって、多様な楽団員に指揮者の意図を伝え、従ってもらうのですか?

A:カラヤン先生から教わったのですが、各団員をInviteするのです。指示ではありません。ある意図をもって、しぐさで伝えます。その演奏者は自分のスタイルや解釈を持っており、それを表現しようとしているのですが、なんとなく指揮者の動作に影響され、そっちの方向に変わっていきます。本人は、それに気づいていないかもしれません。でも、そうなってしまうのです。それがInviteです。

 

これは、教育と全く同じだと思います。指示や命令では、特に学習者が大人の場合は、学習できません。与えられたのではなく、自分自身で創りだしたのだと思わせなければ、自分のものにはなりません。実は、教師がその方向に導いたにも関わらず。まさに、教師の世界に自然に「招き入れる」のです。

 

それが、大人の学習、教育のポイントだと思います。小澤さんは、それをInviteと表現し、実行していたのです。学校の先生であろうは、研修の講師であろうが、会社の上司であろうが同じなのです。これは、大きな発見でした。

 

 

Q:年を重ねて、音楽は変わってきましたか?

A:年を重ねるのも悪くない。今は、自由に指揮ができる。若い頃は、音楽のルールから外れやしないかと、ひやひやしながら指揮していた。でも、観客はルールを守ることより、多少音がずれても、自由に指揮した方が、絶対喜ぶんだよ。もちろん、大事なルールからは、絶対逸脱してはいけないよ。まあ、子供の頃からルールが体に染みついているから、逸脱なんてできないけどね」

 

 

守・破・離という言葉こそ使いませんでしたが、古典芸能で語られる守・破・離そのものですね。小澤さんクラスになっても、毎日の「勉強」は決して欠かさないそうです。だから、型を離れ、自由になれるのです。

 

 

いやはや、達人の言葉は、すべて勉強になります。

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このページは、福澤が2009年6月26日 13:51に書いたブログ記事です。

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