かつて駆け出しのコンサルタント時代、先輩からこんなことを言われました。
「コンサルタントは、分析や提言の中身が重要なことは言うまでもないが、それ以前に第三者であることに価値がある。どんなに優秀な経営者でも、自分や自社のことを冷静に見られなくなることがある。だから、業界の門外漢であるコンサルタントの言葉を信頼してくれ、高いお金を払ってくれるのだ」
当時は、そんなものかなあと思ったのですが、年を経るに従ってその意味が良く理解できるようになりました。
先日、ある講師が予定している一日セミナーのクラス運営計画を、一緒に考えました。講師には言いたいことがいっぱいあります。当日使いたいパワーポイント資料も膨大になっています。それぞれに思い入れがあるので、なかなかカットできません。
第三者である私は、思い入れがないだけに、それを冷静に見ることができます。当初講師が準備してきた計画や資料を見ると、枝葉が生い茂って幹
が見えない樹木のように感じました。一番言いたいメッセージ、すなわち幹を際立たせるには、大幅な剪定が必要なのです。
そこで、その講師が多少気分を害すことも予想しながらも、大胆にパワーポイントのページをカットし、また並びかえました。いったん、第三者がそれをやって、目の前で見せなければ、なかなか思い入れを断ち切れないのです。
これができるのは、私の能力や経験の問題ではなく、単に第三者だからです。私も、何度も逆の立場で苦労して作った資料を、バッサリ捨てられたものです。でも、冷静に考えれば、確かにその方がいいと思いえることばかりでした。
プロ野球の選手兼監督も、映画の主演兼監督も、演劇の主演兼演出も、たいていはうまくはいきません。人間なんて、所詮その程度の能力なんだと割り切って、それを補う方法を考えるべきなんです。
ただ、最近の社外取締役制度はそうか、というとちょっと違う気がしています。最終顧客のことだけを考えて、バッサリできなければ第三者とはいえないのですから。
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