過疎の山村にアートがどれだけ力を吹き込むことができるか、その荘大な実験ともいえる越後妻有トリエンナーレhttp://www.echigo-tsumari.jp/2009/index.htmlが、また7/26から始まります。
私は前回2006年に初めて参加しました。参加というとアーチストみたいですが、もちろんそうではありません。でも、あの空間にいるだけで参加しているような気分になるのです。
今年がちょうどスタートから10年目(4回目)、当初は相当大変だったらしいです。百人を超える現代美術のアーチストが世界中からあの過疎の山村に集まり、数ヶ月も滞在して作品を創り上げるのですから、想像しただけで恐ろしいことです。
友人の一人が、メキシコ人アーチストの通訳として、その過程を体験したそうです。田舎の老人たちは、外国人というだけで警戒してしまいます。ましてや、わけのわからないモノを造る人など、想像をはるかに超える存在だったようです。文化や習慣も異なります。そういう人々を、村人が簡単に受け入れるわけがありません。
ひたすら忍耐強く、コミュニケーションを続けるしかなかったでしょう。異文化コミュニケーションの最たる事例ですね。
でも、最後は涙でお別れするまでに、その関係は強固なものになったそうです。間に入った通訳やボランティアの方々の苦労も大変だったと思いますが、やはりアートの力も大きかったのではないかと思います。
当初から三回で自治体の補助が打ち切られることが決まっていたため、四回が開催されるか微妙でしたが、これまでの評価の高さにより、自治体支援なしでも継続されることになったそうです。このような経済状況のもとで、画期的でしょう。
利益誘導や補助金頼りでない地方活性化の仕掛けとして、アートが果たすことのできる役割を、全国に示しつつあるこの大地の芸術祭、大げさかもしれませんが、市場重視型資本主義に代わる新たなパラダイムの萌芽という気がしています。
まあ、そんな理屈を抜きにしても、とにかく参加するのが今から楽しみです。
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