今朝の日経朝刊の「大機小機」に、「レッテル貼りはやめよう」といったコラムがありました。すぐにレッテル貼りをすることは、真の問題解決にはつながらず、却って解決の妨げになってしまうのでやめようという趣旨でした。
特に最近は、市場経済信奉者はXとYで、Xが主導した政策はすべて間違っていた、という乱暴な議論が横行しているように思えます。かつての自分は市場経済急先鋒だったが今は違う、という自らレッテル貼りをする懺悔録までベストセラーになる始末です。きっと、戦中もこんな感じだったのだと想像できます。
では、なぜ我々日本人はレッテルを貼りたがるのでしょうか。
・ レッテルを貼ることで、問題解決につながると漠然と思っている
・ 他者にレッテルを貼ることで、自らの立場(レッテル)を明確に世間に示すことができ、保身できそうと考える
前者は、本質的な問題解決をしたがらないということの裏返しに思えます。では、なぜしたがらないか。安易に結論にたどりつくことは、心地よいものですが、論理を詰めて結論までたどりつくことは、結構しんどいことです。なかなかそれに耐えられないのです。
しかも、ここに至るまでに、いくつもの誘惑が待っています。
「もう、そのくらいでやめとけよ」
「みんな、冷やかにお前を見ているぞ」
「そんな理屈どおりじゃないぞ、世間は」
「悪いことは言わない。大人になれよ」
さらに、たとえ結論にたどりついても、今度は他者にそれを理解させるという、より高いハードルが待っています。最終ゴールは、とてつもなく遠いのです。
このような難しい局面でも、真実を追求する力が「知的強靭さ」です。
偉大と言われる、経営者(ヤマト運輸の小倉さん、ホンダの本田宗一郎など)や政治家、学者は、すべてこの知的強靭さに秀でていたのだと思います。知性と信念の双方を兼ね備えていた方々です。
どうすれば、それに近づけるのか。まだまだ先は長いです。
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