教え手(先生)が情報を伝達するという学習モデルはもう古い。学び手自身が、外部とのインタラクションを通じて知識や知恵を創出しなければだめだ。
今や、この考え方は常識になりつつあります。では、どうやって第三者が知恵の創出を促すことができるのでしょうか。「では、考えてみてください」と、問いかけてみたところで、思考が進むでしょうか。
学習に関わるものにとって、大きな課題だと思います。そのヒントは、芸能や演劇にあるような気がしています。
説明や解説、飾りがいっぱいのTVドラマやバラエティーは、古い情報伝達型学習のイメージです。その時は、面白かったり、ためになったと感じるかもしれませんが、あとに何も残りません。
その正反対が能です。友枝昭世さんがこう言っています。
「能は、あえて全てを語りません。(中略)どう悲しいとか、どうつらいといった具体的な説明を避け、表現を惜しむことで、作品の世界は舞台の上だけで完結することはなく、観る人ひとりひとりの中でそれぞれの物語が創られていく。」
また、演劇や落語における「間」も観客の思考や想像を促します。平田オリザさんは、こう書いています。
「間をとるということは、すなわち観客が想像力の翼を広げる時間なのです。(中略)観客の想像力を見積もって、その範囲内で間を取ることが重要です。(中略)『やっぱり、オレもそう思っていたよ』と、あたかも観客が自分で気がついたかのように仕向けるのが、演出の仕事です。そのためには、どうしても、一度観客の脳の中に、無意識の選択肢をいくつも作っておいて、その中の一つを、観客があたかも自分で選んだかのように誘導していかなくてはならないのです。」
このように間接的に相手の想像力を覚醒させ、思考を導く技術を教え手は身につけなければなりません。
ただ、教える側に立つと、どうしても沈黙が怖くなってしまいます。受講者は、間が長いとは思っていないにも関わらず、講師は我慢できなくなり説明してしまう光景を何度も目にしてきましたし、自分でも味わいました。講師は、先のことも見えているだけに間が短く感じてしまうのです。こうして、想像や思考の機会を奪ってしまうのです。自分では、なかなかわからないものです。
相手を誘導しないことによって、「場」をコントロールする。これがプロですね。
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