哲学者の鶴見俊輔さんが、ETV特集で非常に含蓄のあることをおっしゃっていました。うろ覚えですが、以下のような言葉です。
「ハーバード大学在学中(注:16歳で入学、19歳で卒業!)、大学にヘレンケラーが来訪され、こんなことを言われた。『私は大学で多くのことを学びましたが、社会に出て全てunlearnしました。あなたもunlearnしなければなりませんよ。』unlearnという言葉を初めて聞き、最初意味がわからなかったが、だんだんわかってきた。単純に学んだことを忘れるということではない。学んだ知識を、いったんその厳密性から解き放ち、日常で使える知恵に変えるということなんだね。つまり『学びほぐす』ことだ。」
私もunlearnという言葉は知っていましたが、そこまで理解していませんでした。合理的で普遍的であっても、それは学問的厳密性の世界でのみ価値があることで、実践の世界では通用しないことが普通です。だからといって、それを否定すればいいというものでもないでしょう。理論を実践に適用できるように学びほぐすことが、現実の世界では必要なのです。
その後の鶴見さんの学問及び社会活動は、まさに学びほぐしから生まれた活動だったように感じます。
学びが学びほぐしになっていくには、以下のようなプロセスを経るように思います。
・ 知識として理解する
・ 他人に説明できる
・ 実践活動に適用できる
・ 自分の経験を通じて解釈し直す
・ 自分の経験に基づく言葉で語ることができる
自分の言葉になっているか、すなわち血肉化しているかどうかが大切なのだと思います。
そして、学びほぐしに終わりはなく、人間が経験を積み重ねるにつれて異なる『ほぐし』がなされることでしょう。当然、人が違えば、異なる『ほぐし』がなされます。そういった、いくつもの学びほぐしが交差、つまり対話されることにより、さらに進化するとともに共有知になっていくのではないでしょうか。
学びほぐしの技術、それは「Learning engineering」と呼べるような領域なのかもしれません。面白そうですね。
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