「ほとんどビョーキ」で一世を風靡(?)した山本晋也監督が、こんなことを書いていました。(うろ覚えですが)
中学生くらいの頃、映画にはまった。周りの大人達は映画=不良と思って顔をしかめた。そんな中で自分が大きな影響を受けた祖母は、こう自分に言った。
「映画を観ることは品行の悪い行いだが、品性を高めることにはなるかもしれない」
この言葉が監督の人生を変えたそうです。
品行とは、その時代の常識的行動基準に合うか合わないかではないでしょうか。だから時代によって変わるものです。
80年代、私も「トゥナイト」での監督のレポートを楽しみにしていました。当時を知る男性はご存じと思いますが、そこではまさに日本における「風俗」の進化を感ずることができました。ロマンポルノを撮っていた監督ですから、そのルポは楽しくかつ鋭いものでした。でも、なぜか「下品ないやらしさ」や「じめじめした暗さ」はあまり感じませんでした。それは、監督の品性にあったのだと、先の記事を読んで思い至ったわけです。
品行は時代によって変わっても、品性はいつの時代にもひとつのあるべき基準のようなものがあるように思います。つまり、普遍的なのではないでしょうか。
そういえば、小津安二郎監督は、
「品行は直るが、品性は直らない」と言っていたそうです。
品性は、長い時間をかけて蓄積され、形成されるものなのでしょう。一夜漬けではどうにもなりません。いやはや、どうしたものでしょうか・・・・。
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