ヒトが必要とする新しい情報や知識を外部や内部から得て、修得することを学習と呼ぶならば、学習のゴールは修得することです。
では、修得とはどうなることでしょうか?分かりやすいのは、「使える」ようになることでしょう。では、どうすれば、使えるようになるか。
学習を初歩段階から順に並べていくと、以下のように進展していくと考えます。
1)(知識を)記憶した -暗記
2)納得し、記憶した -納得
3)長期的に記憶が維持された -強化された暗記
4)忘れてしまっても、自分で創りだせる -使える!
いわゆる受験勉強は「暗記」で、関心の薄い科目の知識は、ほとんど残っていませんね。でも、納得感や美しさを感じた知識は、暗記にそれほど苦労しなかったと思います。でも、数年も経てば忘れてしまいます。
長く記憶されているのは、知識を与えられたのではなく、自分で見つけ出した場合ではないでしょうか。小学校4年生くらいの頃、理科の授業では年度の最初に教科書が配られると同時に、先生に回収されてしまいました。学年末まで、手本にはありません。授業は、先生との対話で進められたように思います。
ある時、唾液にある液体を落とすと赤紫色にそまる実験をしました。子供心に、色が変わるのに感銘を受けました。生徒はみな、その澱粉に反応する液体の名前を知りたくなったのですが、先生は教えてくれません。「これは、とても大切な液体だ。先生に教わるのでなく、自分たちで調べなさい。」といい、あとは自由時間にしたのだと思います。私たちは、図書館で必死に探したのだと思います。子供向けの参考書などなく、難しい百科事典などにあったのでしょう。
結局、子供たちが独力で、その液体の名前を探り当てました。その「ヨウ素液」という名称は、今でも忘れません。
その後、一度もヨウ素液を見たことはありませんので、それほど重要だったかどうかは疑問ですが、私に「自分で見つけたものは忘れない」という教訓を残してくれたように思います。
さらに、見つけ出すだけでなく、自分で創りだすことで、さらに「使える」レベルが上がります。たとえば、標準偏差の公式は中学で習うでしょう。でも、単に記憶しただけでは、すぐ忘れてしまうのではないでしょうか。
なぜ、標準偏差という指標が必要で、それはどういう考え方で生まれたのか、そのプロセスを自分自身でたどっていけば、決して忘れません。いや、忘れても自分で組み立てられるので、「使える」のです。
ここまで来て、初めて学習したと言えるのではないでしょうか。知識を単に記憶するだけであれば、本で十分です。受け身ではない、主体的活動を組み込んだ学習を設計することがますます、重要になっています。
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