「観感聴思読確」:左脳の誘惑

唐突ですが、私は昔から美術館に行き、作品を観るのが好きです。観るにあたっての作法も、何となく自分で決めてきたように思います出光美術館.jpg。それが「観感聴思読確」です。当然ですが、これは私が勝手に作った言葉です。

 

「観」:これは作品をまず、観ることです。当たり前だと思われるかもしれませんが、案外そうでない方が、特に最近多いようです。作品を観る前に、作品解説を読む方が異常に増えた気がします。美術館サイドも、年々解説プレートを充実させています。有料解説テープも普通になってきました。

 

「感」:感じることです。作品のエネルギーであったり、奇怪な雰囲気であたったり、とにかく五感で感じようと努めます。

 

「聴」:五感の中でも、特に音を聴こうとします。音楽作品でなくてもです。特に絵画は、じっと観ていると音が聞こえてくるような気がします。もちろん、

モンドリアンなどの抽象画も。マチスのJAZZは、まさに音楽的作品(切り絵)ですね。そういえば、この感じご理解いただけると思います。

 

「思」:そして何かを思います。決して、考えるのではありません。「考える」という行為は、二分法の発想に基づく気がします。つまり暗に、「AではなくBだと考える」というわけです。これは左脳の働きです。そうではなく、何かのイメージやストーリーなどを「思い浮かべる」のです。

 

「読」:作品を一通り観終わった後、まだ時間と体力があれば、新ためて最初から観(見)に行きます。こんどは、作品を観た後、解説プレートを読みます。なるほど、と感心するものもあれば、時間の無駄だったと思うものも結構あります。なにしろ、この時点では、結構疲れてきていますので。

 

「確」:そして、文章を読んだあと、あらためて作品を観て、確認するのです。的を射た解説を読んだ後でまた観ると、また別の感じ方ができたりします。

 

これで、やっと完了です。観から思までは、右脳の働きに頼り、読と確は、主に左脳の働きによります。

 

先に左脳を使ってから右脳を使ったらどうだ、との意見も出そうですが、それはうまくいきません。一度左脳で理解してしまうと、なかなか右脳モードに行かないのです。それだけ、私が左脳に毒されているということかもしれません。左脳の誘惑を断ち切るのは、案外難しいのです。

 

 

ところで、人間が学習するプロセスにも、「観感聴思読確」が活用できないか、今思案中です。

 

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このページは、福澤が2009年5月15日 19:30に書いたブログ記事です。

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