日本人にとっての「時間の価値」

初めて時間価値を財務理論で学んだときは、結構感動しました。そうか、確かに明日もらう一万円より、今もらう9,500円のほうがありがたいかもしれない。

こういう合理的な思考は、さすがだなと感心したものです。

 

バブル崩壊後、日本企業は競って成果主義を輸入し採用しました。お題目はともかく、それによって給与総額を引き下げることを狙ったと思われても仕方ないでしょう。目先のコスト削減が大事で、その後どなるかは深くは考えていなかったようです。このような先のばし体質は、日本企業に特有かもしれません。

 

時間価値すなわち割引率を、日本人は他の国に比べて大きく想定しているのかもしれません。

 

 

4月から始まった高速道路1000円均一サービス。国民は喜んで、それまであまり使わなかった自家用車を引っ張りだし、大した目的もなしに高速道路に繰り出しました。今、割引を受けなければ損だとばかりに。

 

しかし、冷静に考えれば、割引原資は自分たちの税金で賄われており、いずれそのしわ寄せが自分たちを襲うであろうことは明らかです。

 

一方政府も、目先の景気対策最重視で、将来の借金も、地球環境への悪影響もすっかり忘れて大盤振る舞いです。つまり、国民も政府も目先が大事なのです。いいかえれば、「将来のことはわからない、今を楽しもう」ということです。

 

 

日本企業は、長期的視野で経営すると評価されることもあります。一見、それと高い割引率は矛盾しているようですが、私はそうは思いません。例えば、長期的取引慣行が、その代表として示されることがあります。多少高くても、古い付き合いで安心できるところからしか買わないとういやつですね。

 

購買担当者が、最も重視するのは下方リスクです。大きな成功かつ大きな失敗の可能性のある選択肢と、小さな成功かつ小さな失敗の可能性のある選択肢であれば、間違いなく後者を選びます。前者は、会社の将来に大きな貢献をする可能性を秘めているかもしれないにもかかわらずです。それより、今失敗することを極端に恐れるのです。つまり、将来よりも現在を重視しているのです。ただ、それが低リスクの安定的経営を可能としているともいえるでしょう。

 

終身雇用はどうでしょうか。これも長期的経営の代表とされていましたが、優秀な社員をできるだけ早い時期に囲い込むための業界ぐるみの仕組みということもできるでしょう。将来確保できるかどうかわからないので、新卒一括採用で確保(青田買いもあり)し、あとはゆっくり育てる。10年経って、実は優秀ではなかったと判明しても、退職はさせません。そんなことをすれば、新卒採用が困難になりますから。そうなると必然的に会社が急成長しない限り、中途採用はできません。

 

このような日本企業の行動は、目先のキャッシュより長期的継続的な利益を重視しているように見えます。その意味では長期志向と言えるかもしれません。

 

ただ、決して長期的ビジョンに基づいて戦略的行動を取っているというわけではなく、仲間うちの目先の局地戦(当然現在重視)の結果、幸いそうなっているに過ぎないのかもしれません。

 

 

奈良時代に編纂された、大衆歌を集めた「東歌」を分析した加藤周一は、こう書いています。

 

「時間の概念についてみれば、地方の大衆の世界はすぐれて『現在』の世界であった。(中略)唯一の現実は、今・此処において、直接に感覚的にあたえられ、実際の行動の対象としてあらわれるところの、他人および身近な自然から成る日常的世界であった」(「日本文学史序説」より)

 

 

時間の概念は、非常に抽象的なものです。古代から日本人は抽象的概念が得意ではありませんでした。それは、現在の企業行動にも正しく継承されているように思えてなりません。

 

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)
加藤 周一
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このページは、福澤が2009年5月17日 16:24に書いたブログ記事です。

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