当事者が語る:キリン復活

昨日、キリンホールディングスの三宅副社長のお話しを伺う機会がありました。三宅さんは、3/25迄キリンビール㈱の社長でした。

 

キリンは、2001年にビール首位の座を、アサヒに明け渡しましたが、そこからどう対処したのかなどについて、大変刺激的なお話しでした。

 

    高度成長時代は、家庭で瓶ビールをケースで配達してもらう買い方が主流だった。そこで、酒販店チャネルを押えていたキリンが40%以上のシェアを16年間維持できた(選択肢は不要)

    80年代に入り、核家族が進展、共働きも増え、家庭でケース購入の習慣が薄れていった。代わりに、仕事帰りにコンビニで、缶ビールを買って帰ることが多くなった。店舗は、多くのブランドを並べたがり、顧客も気分で別ブランドを試しに買うようになった

    86年アサヒがドライビールで旋風を起こす。それまでは、各者独自ブランドで棲み分けていたが、旋風に巻き込まれ各社がドライビールを発売。結果として、ドライ市場拡大に貢献しアサヒの独り勝ちとなった。(商品戦略大失敗)

    「一番搾り」のヒットもあったが、01年首位転落。ここで、「価格」から「価値」に大きく舵を切る。

-それまでは、競合ばかり気にして、顧客を見ていなかったと反省

    募集して集まった社員111人による「ダーウィンフォーラム」で、新たなビジョン・バリューを議論し、「酒類事業の誓い」を策定。

    同時に、公正取引委員会指導の取引正常化に本気で取り組む。その結果、流通の反発を買い、さらにシェア低下

    部門を超えた5060人単位で、社長自ら社員との対話集会(丸一日)キリン のどごし.jpgを実施。これを機会に、部門連携の機運が高まる

    06年「のどごし」が、大ヒット。成功体験を思いだす。

    0913月期、ビール首位奪取!

 

50分間、企業変革のケースを読んでいる気分でした。やはり、自ら主導してきた方が話すと、説得力がまるで違います。場の力を感じました。お話しを聞きながら、早くビールが飲みたいと真剣に思った次第です。

 

なお、おもにビール事業のお話しでしたが、全社戦略についても、少しお話いただけました。それも、すごく面白かったのですが、日をあらためて。

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このページは、福澤が2009年4月24日 12:16に書いたブログ記事です。

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