1989年、私は大学院の交換留学生として、ストックホルムにいました。当時、街には老人がいっぱいでした。でも、皆さん穏やかで、品があって何だかかっこいいなあと感じたものです。また、交通機関をはじめ公共施設は、老人や小さな子供、身体障害者といった弱者のことを考えて設計されていました。
そして、あれから20年。今思えば、89年当時のストックホルムと同じくらい、東京では高齢者が溢れています。以前よりは、地下鉄のエスカレーターなど、弱者対応もできてはいますが、89年のストックホルムにはまだ劣っていると思います。
さて、現在の東京で、かっこいいと思える老人がどれほどおられるでしょうか。私は見つけました。能の演者や囃子方には、80歳を超える方も大勢活躍されています。彼らの姿や立居振舞は、とてもかっこいいのです。ただ、特殊な生活をしているからという気もしていました。
でも、それは違いました。昨日、矢来能楽堂で皐楽会大会という、観世流のお弟子さんの発表会がありました。お弟子さんといっても、先代からの方も多く、高齢のお弟子さんもたくさん出演されました。もちろん、すごく上手な方もいれば、そうでない方もおられますが、皆さんそれなりにかっこいいのです。和服で決めているということもあるでしょう。能の発声(謡)や動き(仕舞)や衣装は、日本人を最も引き立てるものなのかもしれません。少なくとも、普段街で見かける高齢者とは別人のようでした。
考えてみれば、日本人が洋服を着て、洋式の生活をするようになってまだ50年くらいしか経っていないのではないでしょうか。私なんぞも、中学生まで和式便所を使っていました。
日本の高齢者が、かつてのストックホルムの高齢者に比べて、あまりかっこよく見えないのは、インフラに限らず、そもそも慣れない「社会」で老人になってしまったからではないでしょうか。
元来、東洋では、経験と知恵を持つ老人は尊敬の対象でした。ところが、戦後、経済成長を基本とした「社会」が形づくられ、そこでは、成長の妨げとなる弱者は、邪魔者となったのです。少しずつ、認識は変わりつつあるとは思いますが、まだその傾向は歴然と存在します。
リーマンショック後、世界は大きく変わるはずです。成長一辺倒でない、成熟した社会を目指すことになるでしょう。
欧米に範を求めなくても、自分の足元に古くて新しいパラダイムが埋もれている気がします。昨日見た、かっこいい老人たちの姿がそう語っているようでした。
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