今週の日月で、修善寺の温泉に行ってきました。「あさば」 という老舗の温泉宿です。サービス、食事、風景、お湯など、あらゆるものが洗練されており、いつ来ても寛ぐことができます。もちろん、お値段も相応ですが。今回最も印象的だったのは、床の間の掛け軸に、大好きな松田正平の書がかかっていたことです。もちろん、宿は私の購読新聞は知っていても、好きな画家の名前までは知らないでしょう。でも、心地よい宿というものは、そういうものです。
一転、昨晩の夕食は、「サイゼリヤ」で食べました。経営手法には、興味はあったのですが、そのレストランには初めて入りました。噂に劣らず、その低価格とにこやかな店員の態度には、関心しました。もちろんあさばとは全く異なる料理とサービスですが、値段からすれば、悪くないと感じました。
それを実現するために、当社は磨き込まれた仕組みと店員教育を徹底しています。仕組みとは、簡単に言ってしまえば規模の経済性と標準化です。それらの追及により、低価格でそこそこのサービスを実現しています。サイゼリヤでは、顧客もそれを承知で食事に行くわけです。サイゼリヤに限らず、ファミリーレストランという業態そのものがそうですね。
子供の頃は、ファミリーレストランは少なくとも私の周りにはありませんでした。外食とは、美味しくないけど安い店と、気の利いた料理を出す店、美味しいが高い店の三種類でした。その後、外食産業の進化の中で、安いだけの店はなぜか残っていますが、気の利いた店はどんどん消滅していき、ファミリーレストランに代替されていったように思います。美味しいが高い店も、バブル崩壊後は、減少の一途でしょう。
ファミリーレストランは、気の利いた料理「もどき」を、豊富なメニューで提供する業態だと思います。気はそれほど利いていないかもしれませんが、種類は豊富です。それまでは、ハンバーグの気の利いた店、スパゲッティの気の利いた店と、メニューによって店を使い分けていたものが一か所ですむ、そういう利便性もあります。探す手間も省けます。値段は、それほど安くはありませんが。サイゼリヤは、さらに美味しくないけど安い店の領域にまで、踏み込んでいます。
このような現象を、産業化というのでしょうか。産業化によって、本物「もどき」の製品やサービスを、膨張する中産階級に提供する。これ自体は、庶民にとってはありがたいです。
ただ、「もどき」を「もどき」とわかって消費しているうちはいいのですが、それが本物だと勘違いしはしないか、その結果、本物が生き残る余地がなくなってしまいはしないか。どんな分野であっても、一部の本物が、全体の進化を導いていくのだと思います。たとえば、老舗和菓子店がお菓子の分野の進化を支えているといいます。
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