かつて五重の塔をつくり上げるのに詳細な設計図はなかったそうです。そのことについて、宮大工棟梁の西岡常一氏はこう書いていました。
「関わる大勢の職人ひとりひとりが、五重の塔のできあがった姿を頭の中に描いている。だから細かい設計図はいらない。その頭の中の像を示すのが棟梁の仕事だ」
それを読んだ時、単純に職人ってすごいなあと感心しました。また、詳細な図面なしにそれを示せる棟梁も。
分担作業をする職人は、出来上がった姿だけでなく、自分以外の分担部分の詳細について深く理解していなければ、きっとそれは不可能でしょう。分担作業による効率化と深い全体理解の両立が、集団でおこなう高品質な仕事(芸術作品でなく)の条件に違いありません。
また、作家の木内昇氏のコラムにも、こんな話がありました。
以前、岐阜にあるギター工場を取材したことがある。数々のミュージシャンが特注品を頼むほど質の高い製品を生み出す現場は、完全分業制だった。板をカットする人、弦を張る人、色を塗る人ときっちり専門が分かれ、それによっていっそう精度を高めている。ところが、あまたいる職人さんのほとんどが、全工程の技術を身につけているという。つまり、ひとりでもギター一本作れるのだ。研修で学ぶのかと思いきや、なんと、始業前や昼休みに銘々が他工程の仕事を見たり、職人同士教えあったりして、働きながら専門外の技もものにしてしまうらしい。(中略)「会社から言われたわけでもないんですけどね」と、笑いながらさらりと言う(中略)。全体が把握できれば、自分に課された仕事への理解もより深くなる。言われたことをただ言われたようにやっているうちは、仕事とは言えんのだな、と改めて思った。
職人に限らず、多くの現場(生産工程やサービス提供の場など)では、少なからずこういう姿勢で仕事に臨んでいるような気がします。仕事の質を上げたいからという功利的な考えではなく、もっと原初的な欲望というか本能の声で、やらずにおれるかという気になるのが、日本人の特徴なのではないでしょうか。
しかし、これがホワイトカラーの職場になると、なかなかそうはなりません。T型人材というこ言葉もありますが、功利的な響きがありちょっと違いますね。結果がすぐ見える現場に対して、見えにくいのがホワイトカラーの職場だからなのでしょうか。それとも、もともと持っている本能の発露を妨げる何かがあるのでしょうか。
日本企業は、相対的に弱み克服にエネルギーを割く傾向があります。それも必要ですが、本来持っている強みを再認識して、それを活かすことを真剣に考える時期に来ているように思えてなりません。
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