現在放映中のNHK朝ドラ「カーネーション」は、近年稀にみる非常によくできたドラマだと思います。残念ながら今月で終わってしまいます。主役の尾野真千子の演

技も素晴らしいですが、脚本もいいですね。
「品格と誇り」は、先週主役の糸子が語った言葉です。娘が独立した糸子は、岸和田から東京に出て、新しくつくる既製服会社の経営パートナーとなることを誘われ迷っていました。何となく、乗り気がしないのは、現在の洋服業界はモードという名の流行に流され、どんどん新しいファッションを生み出し続ける拡大競争になっているからです。そのメッカである東京で、モード競争に挑むことを期待されているのです。迷いは、そんな目まぐるしいファッション界の動きが好きになれないことと、とはいえこれまで自分が長年やってきた注文服は斜陽化するのでは、との不安からきています。
そこで、集まってきたお隣さんらに吐露します。
「私の洋裁の先生は、洋裁はこれからの女性に品格と誇りを与える仕事だと言った。だからこれまで必死にやってきたんだ。でも、もう・・・。」(せりふは岸和田弁です)
それを聞いたお隣の美容師さんは、「そうそう、よくわかる」と言ったものの、その直後に怒りだします。「そんな、情けないことを言うな!」そう言って飛び出してしまう。しかし、しばらくすると風呂敷包みを抱えてもどってきて言います。「これは私の宝物だ」
そこには、終戦直後家族を失って満身創痍の彼女を励ますために、糸子がデザインした美容師の制服が畳まれています。そして、その上には美容室開店のときに撮った記念写真が置かれている。「私はこれがあったから、死なないで生きてこられた」
つまり、糸子の作った服によって品格と誇りを与えられた、その価値は失われないし、これからももっともっと多くの人々に品格と誇りを与え続けるべきだ、そんな大きな儲けとか名声とかに目移りするな、と暗黙に語っているのでした。そして、糸子は東京行きを止め、岸和田で洋裁屋を続けることを決めます。
このやり取りは、仕事の意味を深く考えさせます。洋裁に限らず、いつの時代のどんな仕事であっても、品格と誇りをお客さんに持ってもらうために働き、その結果自分自身の品格と誇りを保てるということなのではないでしょうか。
例えば、八百屋さんもいい野菜を手頃な値段で販売することで、それを使って晩御飯をつくる母親に品格と誇りを与えているといえます。また、夕食に使う漆のお椀をつくる職人も、それを使って食べてもらうことで、同じ料理であっても少しだけ豊かな気分で食べられることを願ってつくっていることでしょう。それは、使ってくれている人に品格と誇りを与えていることなのです。
このように、日本における仕事とは、単なる食い扶持を稼ぐという機能なのではなく、人の品格と誇りを保つための行いという面が強いのだと思います。だから、自らの品格と誇りのためにも、いくつになっても働き続けることを望むのでしょう。これは、日本が世界に誇るべき生活スタイルだと思います。
このような観点に立つと、今の自分の仕事はどのようにお客さんに品格と誇りを与えているのか、考えさせられます。そう考え続けることで、企業や個人の指針や基準が明確になっていくのではないでしょうか。
コメントする