昨晩、文楽二月公演第三部(18時半開演)を観に(聴きに)にいってきました。先日懇意にさせていただいている人形遣いの方から、夜の部の入りがいまいちと伺っていたのですが、案の定八分程度の入りで、普段いく週末とはだいぶ雰囲気が異なっていました。ちょっと頑張れば仕事後でも気軽に行けるので、興味がある方はぜひ足を運んでみてください。演目は、定番中の定番「菅原伝授手習鑑」と、一種の怪獣もので八岐大蛇が珍しい「日本振袖事始」です。対極の二演目ですが、文楽初心者には最適なラインナップと思います。
先の人形遣いの方によれば、橋下大阪市長は大阪での公演をちらっと覗いたもののそれっきり、それで文楽助成金の大幅削減を打ち出したそうです。その方いわく、好き嫌いはあるでしょうが、せめて三回はじっくり観て判断して欲しかったとのこと。数少ない大阪を基盤とした芸能でしかも世界文化遺産の文楽です。「儲かり」はしないでしょうが、文化の価値を認めるべきでしょう。本物の文化は、損得に関係なく何があっても守って継承させていくべきです。
ところで、科学技術や経営手法の進歩は、一般大衆の手には入らなかったホンモノを、モドキを開発することで誰にでも手に入るようにした、という大きな貢献があったと言えるでしょう。たとえば、絹に対する人絹(レーヨン)、注文服に対する既製服、昆布だしに対する味の素(うま味調味料)、演劇に対する映画、映画に対するTV番組・・・、いくらでも思い付きます。国民厚生の観点からは、非常に大きな貢献です。
しかしその一方で、それらは所詮モドキに過ぎないということも事実です。レーヨンはどこまでいっても絹の価値を超えられません。もちろん絹にない新しい価値を備えているかもしれませんが。
一番怖いのは、ホンモノの価値を知らないがためモドキで満足してしまい、その結果ホンモノが滅んでしまうという現象です。悪意を持ってホンモノを滅亡させようとしているのではなく、単に関心がないだけです。あるいは、ホンモノにはそれ相応のコストがかかるため、経済合理性に基づけば好ましくないと判断されるからです。その土俵に立てば、それが正解かもしれません。
しかし、それでいいのでしょうか。以前糸井重里さんの「不要だからと(消費を)削っていくと魂を小さくする」ということばを紹介しましたが、それと同じことだと思います。経済合理性も大事ですが、それでは測ることができない人間らしい感情や感覚を、もっともっと大切にしていくべきです。
バーチャルも含めたモドキだけの世界でも、生活していくことはできます。でも、もっともっと「楽しい」ことが世界には山のようにあるのです。その世界に入っていくためのきっかけが、ホンモノに触れることではないでしょうか。
私はこれからの時代、世界中でホンモノ回帰が起こると予感しています。どれだけのホンモノに触れ手に入れるのか、それが人間の豊かさの一つの基準になっていくように思います。
では、ホンモノとは何か?それはまた今度じっくり考えてみたいと思います。
コメントする