昨日、今話題沸騰の東京国立博物館「北京故宮博物館200選」を見にいったのですが、何と入場は60分待ち、目玉の「清明上河図」を見るのにさらに210分待ちとあり、さすがに諦めました。でも、せっかく上野まで行ったので常設展を見てくることにしました。常設展は有難いことに無料です。
常設展では、「日本美術の流れ」のタイトルのとおり、古代から近代までのあらゆる一級の作品が時代、テーマごとに展示されています。その質、量とも圧倒的で、日本美術教科書の実物版の趣き、国宝もたくさんあります。会場は広々としているし、客はまばらだし、ゆったりとかつ豊かに楽しむことができました。これは絶対お薦めです。
これだけの作品群を一同にみることで、日本人の深層に流れるものの考え方や志向、価値観がよくわかります。それは繊細、丁寧、緻密、簡潔といったものです。それをいつの時代も大切にしていました。もちろん、桃山時代みたいに絢爛豪華を振れた時期もありますが、そういった時期は長くは続かずすぐ揺り戻しがあり、大きな流れは変わっていません。秋にみてきたヨーロッパの芸術作品とは明らかに志向が異なります。
例えば研ぎ澄まされた鎌倉や室町時代の刀剣、形はいたってシンプルです。でもその鋭い輝きは、みる者に精神性を感じさせます。もちろんみる人によって受けとめる精神性はさまざまかもしれませんが、こちらに訴えかける「力」は誰でもが感じることでしょう。
また、禅画や墨跡、墨一色で、非常に多くの情報を発信しています。作者

の性格、その時の感情、生き方、そんなものまで伝わってくるようです。でも、それらは合理的にはなかなか説明できません。日本の美術作品の多くにいえることは、みる側に多くを委ねているということです(これは能などの芸能にもいえます)。
つまり、作者はみるものの想像力を刺激する「入れ物」を用意しているにすぎない。その「入れ物」に何を入れるかは、完全にみるものに委ねているのです。時に強く主張する作品もなくはないですが、日本人の美意識ではその価値を認めにくい。「説明」を嫌うのです。そのあたりは、日本オリジナルなのではないかと思います。想像することを重視するがゆえ、「見立て」に大きな価値が置かれる。
こういった独特の美の世界では、つくり手とみるもの(使うもの)の間で、暗黙に了解された美意識や文化的素養が必要です。海に囲われた日本列島という地形の特殊性がそれを可能にしたのでしょう。しかも、ときどき海を渡って入ってくる海外(中国、朝鮮、ベトナム、オランダなど)の美的情報も、その希少性ゆえ、適度の日本化される余裕もあった。希有といえば希有な環境です。(その意味では、戦後のアメリカ文化の流入は過剰だったかも)
では、グローバル化が進む今後はどうなっていくのか。私は楽観的です。これからの日本人にとってのグローバル化は、自らのアイデンティティ認識がなければ難しくなるでしょう。それにみんな、何となく気づいているように私は思います。昨年の東日本大震災が、それを後押しする契機にもなっているのでは、ないでしょうか。
美意識とは決して芸術や文化の世界だけのものではなく、経済、政治などあらゆる場面で活かされるべきものです。2012年は、日本人自身が、日本が海外に誇れる最高の資源はこういった「美意識」にあることを、再認識する年になるような気がします。
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