「歩き方」から身体技法を思う

大学三年生のとき、初めての海外旅行でオーストラリアにいきました。その時、一番印象に残ったのは人々の歩き方です。誰もが胸をはって、堂々と歩いていました。唯でさえ彼らに比べ貧相な体格なのに、いっそう自分のことをみすぼらしく感じたのでした。そこでその後も、せめて歩き方くらいは堂々としようと、自然に背筋が伸びる歩き方を意識していたように思います。おかげで、姿勢がいいねと言われたりしました。

 

数年前、矢内原伊作がエッセーで「西洋人は股で歩くが、日本人は膝で歩く」と書いているのを発見しました。矢内原といえば彫刻家ジャコメッティのモデルにもなった哲学者です。なるほど、と膝を打ちました。確かに私がかつて強く印象を受けたオーストラリア人に代表される欧米の人々は、背筋を伸ばしているだけではなく、大股歩きで前に踏み出した側の足の膝はまっすぐのびています。股を起点にして、靴が振り子になるような歩き方です。その極端なのが軍隊の行進でしょう。

 

それに対して我々日本人は、ほぼ間違いなく踏み出した足の膝も、くの字に曲がっています。極端にいえば、膝を起点にしているようです。何となく日本人の歩き方が貧相に見えるのは、そのせいだとわかりました。

 

では、日本人はなぜそんな貧相に見える歩き方をしているのでしょうか。ところで、能では歩く所作は「すり足」です。つまり常に膝を曲げてちょっと前傾姿勢ですーっと、すべるように歩きます。手は振らず両手を両太ももの前に軽く添えます。

 

現在の日本人の歩き方は、西洋人のそれと能の所作の中間のように思います。しかし、能の歩き方を貧相だとかみすぼらしいと感じたことはありません。なぜでしょうか?それは、能役者が着ているのが洋服ではなく能装束/和服だからでしょう。つまり、服にはそれに合った歩き方がある。現代の日本人は、和服の歩き方をどこか引きずりながら洋服を着て歩いているから、不自然に見えるのだと思います。成人式の頃、振袖を着てさっそうと歩く女性を見て不自然だと思うのは、その反対側です。

 

おととい、城西国際大学エクステンション・プログラム「日本人の身体の美意識」という講演を聞いてきました。とても面白かった。そこで、日本人の身体技法について学ぶことができました。矢田部先生によると、日本人は鼻緒のついた下駄や雪駄で歩いてきたので、重心が爪先にかかる。そして爪先を移動させて歩くには前傾姿勢で膝から歩くことになるのだそうです。そういう歩き方に慣れた人が、ハイヒールのようなかかとに重心を置くことを想定した靴を履くと、足先に大きな負担が掛り体に良くないのだそうです。外反母趾などはそれが原因なのでしょう。

 

先生によれば、服装に合った身体技法を身につけることが大切なのだそうです。さらにいえば、生活・生産活動-服装-身体技法、それらから美の基準も紡ぎ出される。矢田部先生が写して見せてくださった日本舞踊の名人

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武原はんの二枚の写真、舞踊中の姿と洋服で盛装した姿は、その重要性を如実に語っていました。どちらも完璧に「きまって」おり美しいのです。

 

つまり、状況に応じて身体を操作する技術「身体技法」を身につければいいだけの話で、決して日本人の体格や稲作文化のDNAを理由にして諦めるようなものではない。日本人だから洋服が似合わないのではなく、ふさわしい身体技法ができていないから不格好なのです。

 

そう思えば、体格を変えることはできなくとも何とかなりそうな、希望が湧いてきませんか。何事にも理由があり、それを克服する方法を身につければ、大抵の問題は解決できる、そんな希望も・・。

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このページは、福澤が2011年10月31日 16:16に書いたブログ記事です。

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