東京電力の株主総会が、昨日わずか6時間で終了しました。ことの重大性を鑑みればひと晩でもふた晩でも続けてもいいと思うのですが・・。
勝俣会長は、「辞任して責任をとるのではなく、これまでの経験や知見を生かしたい」と理解を求めたそうです。それほどの深い知見があるのであれば、そもそもこんな事故は起きなかったでしょう。また、これまでの経験とは、安全神話を前提とした経験に違いありません。そんな経験こそ、今組織から払拭させる必要があります。その象徴として自ら身を引くのが、リーダーのあるべき姿ではないでしょうか。
復興構想会議の提言も発表されましたが、「構想」はほとんど見られません。構想は現実の延長線上に生まれるものではありません。現実から大きく離れるから構想なのです。しかし、もちろん飛躍すればいいというものでもありません。そこに必要なのは、歴史観と未来像です。つまり、時間軸を100年単位に広げて、描く必要があるのです。残念ながら提言からは、歴史観も未来像も感ずることができません。
日本人は「構想」できない民族なのでしょうか。そう悲観したくもなります。確かにこれまで、構想を「大風呂敷」だとか「思いつき」と虐げてきたように思います。「大人の判断」にはもっともなじまない。しかし、100個の大風呂敷の中からひとつの新しい構想がうまれてくるかもしれません。そんななか、そもそも大風呂敷を最初から否定したら、構想など根絶されるでしょう。で、どうするか?そう、「構想」を輸入してきたのです。そして、ヨコのものをタテにして一大キャンペーン。
時代を廻すのは権威ではなく、トリックスターです。トリックスター は、神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずらきとして描かれる人物のこと。身近なところでは、ホリエモンや佐藤優氏(最近どこかの雑誌で対談してましたね)、古賀茂明氏(「日本中枢の崩壊」著者)などがそうだと思います。王様は裸だ!と叫ぶ子供のようなものかもしれません。彼らのことをよく知っているわけではありませんが、そういう多くのトリックスターの中から、本当の英雄が生まれてこないとも限りません。
少なくとも言えることは、東電現経営陣に代表されるセグメントから時代を廻す「構想」は絶対生まれないということです。経験も知見も、百害あって一利なし。せいぜい出てくるのは、2020年東京オリンピック招致程度の「構想」でしょう。
いっけん馬鹿げた考えのように思えるかもしれませんが、トリックスターを包容し適切に付き合える社会こそが成熟した社会であり、今の日本が目指すべきひとつの方向だと思います。
コメントする