構造で捉える:「私たちはいまどこにいるのか」を読んで


 

日本もオイルショックには直面しますが、工業社会のピークだったため、比較的うまく乗り越えることができ、その後の「Japan as No.1」の流れにのることができたのです。冷戦のもと、民主化された唯一の東アジアの工業国という位置づけが有利に働いたという面もありました。


本書のタイトルどおり、自分たちが今どこにいるのかを知るには、現在の自分たちを相対化して見る必要があります。そのためには、現在の他者と比較するか、過去の自分たちと比較するか、過去の他者と比較するかの三つしか方法はありません。もっとも行われるのは、現在の他者との比較でしょう。今アメリカは・・・、とか中国は・・・なのに翻って我々は・・・という議論です。ししかし、もう少し長い時間軸で見てみることの重要性を、本書は教えてくれます。 

私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集
小熊 英二 
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例えば、私は本書で初めて知ったのですが。70年代初めまで女性の専業主婦率は日本よりアメリカのほうが高かったそうです。意外でしょ?第一次オイルショックがきっかけでアメリカ女性の労働力参加率が急上昇し、日本を上回ったのです。思うにそれまでの日本女性は、農家や商人、職人の嫁として働くことが当然だったのでしょう。

 

日本における農林水産業の就業者を製造業の就業者が抜いたのは65年です。その時期を起点に農業社会から工業社会に変わっていった。そして、サービス業の就業者が工業のそれを抜いたのが94年。ほぼ冷戦終結時期です。一方、アメリカでは、オイルショックに工業社会からサービス社会への移行期が重なったと考えられます。そう、経済低迷、高失業率、とともに家族も変容した大変な時期が70年代から80年代だったのです。それは西欧もほぼ同じでしょう。

 

私の世代は、ほぼ上記の変遷とともに成長してきたと言えます。思い起こせば、高校から大学生の頃は、アメリカもヨーロッパもぱっとしない印象でした。英国病に陥ったイギリスは、その反動としてパンクロックの印象がもっとも強いくらいです。欧米のニュースは、若者の高い失業率だの、暴走やデモなどばかりを写し、斜陽というイメージがどこかありました。(だからといって嫌いだったわけではありませんが)

 

しかし、冷戦終結後その日本もほぼ20年遅れで脱工業化の苦しみを味わうことになりました。そう、日本が他国より優れていたのではなく、タイムラグだったのです。苦労は先にしたほうが良いのか後のほうがいいのかはわかりませんが、日本は冷戦終結後もたもたしている間にさらに人口減少、途上国の追い上げ、さらには震災、原発事故まで一緒になってしまったのです。果たしてこの国難にどう対処すべきか?

 


現在だけを見ていても実態は見えず、時間と空間を拡大して構造を捉えることには大きな価値があります。本書は、その重要性を鮮明に気づかせてくれます。

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このページは、福澤が2011年6月20日 10:41に書いたブログ記事です。

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