東北関東大震災から一週間を迎えて思う

2011年311日は、1945年815日やアメリカにおける20019月11日と同じように、その前後で世の中が変わったと後世に伝えられる日になったと思います。危機的状況のもとでは、人間の本性が顕れてくることが実感としてわかりつつあるような気がします。

 

被災者の方々の姿を報道で目にするたびに、自制心、助け合いや心遣い、共感といった徳性や勇気が人間の本能なのだなあとしみじみ嬉しくなります。普段は「楽」に覆われて見えなくなっているだけなのですね。(我欲に溺れた日本人への天罰だとの石原都知事の発言はきっと、自らのことを語ったのでしょう)一方、都内のスーパーなどで、生鮮食料品の棚がガラガラとなり、人々が大きなレジ袋を抱えてそそくさと家に急ぐ姿を見ると、少し残念な思いがします。自宅近くのガソリンスタンドですら、朝から車が長い列を作り、昼過ぎには品切れなのでしょう、店じまいしています。どこからそんなに自動車があらわれてくるのか、不思議でなりません。(思いやりVS保身)

 

また政府の会見やTV報道での学者らの解説を注意深く観ていると、情報公開に関する不自然さや、まるで子供のサッカー試合のような、皆がわーっと同じポイントに集まってわいわいがやがや発言し、しばらくするとまた別の新しいポイントに一斉に移動して同じようにわいがやする、その全体感のなさに、がっかりすると同時に空恐ろしくなります。(寄らしむVS知らしむ)(ミクロVSマクロ)

 

昨日、プロ野の開幕についてパリーグは412日に延期、セリーグは予定通り今月25日開始と発表されました。選手会は延期を希望しているにも関わらず。ある選手は、この時期に試合で国民を励まそうというのは思い上がりだと、発言していました。セリーグ球団代表らは、野球選手は試合で国民に勇気を与えることが仕事だといいますが、被災者の心情だけでなく、停電におびえる関東、東北の人々に、3500世帯分以上の電力を使ってナイターを実施し与えられるという勇気とはいったいどれほどのものなのでしょうか。私は、選手会の意見のほうが遥かに常識的だと考えます。(励ますVS寄り添う)

 

このように危機では、難しいトレードオフの問題に直面せざるを得ません。福島第一原発では、現在も現場のスタッフが放射線被爆の恐怖と事態収拾の狭間でぎりぎりの判断と行動をしています。(安全VS効果)これまでは、「楽」のぬるま湯にみんなが浸かり、真剣にトレードオフに向き合ってこなかったのかもしれません。政治も企業経営も社会生活も。(年金問題はその代表でしょう。政治の役割とは、重要な国家的トレードオフに対して意思決定し、説得することです)しかし、今回起きつつある大災害で、これまでぬるま湯でいられたのはある特殊な時期だったからだとの事実に我々は気づくことでしょう。そして、それ、夢のように過ぎ去ってしまったと。

 

これは、「目覚め」のきっかけなのかもしれません。黒船が下田に現れたときや、太平洋戦争で敗北したときのように。そういう意味では、これから日本が大きな上昇サイクルに乗る可能性を秘めているといえるでしょう。ただ、それは一万人を超えるといわれる犠牲者の上に築かれることを決して忘れてはなりません。のど元過ぎれば・・・というのも日本人の特性ではありますが、しかし今回こそは我々のメンタルモデルを大胆に変えるラストチャンスだと覚悟すべきだと考えます。

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このページは、福澤が2011年3月18日 18:57に書いたブログ記事です。

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