あらためて、JKTSさんの手記がなぜこれほど心を打つのか考えてみました。
地震発生後、未曾有の映像(量も質も)に触れてきました。でも、そこには遺体も出てきませんし、なかなか体温を感じることができません。TVレポーターだか記者は、避難所を回っては「今一番欲しいものはなんですか?」と同じ質問を繰り返します。もちろん、不足物資をヒアリングすることは意味のあることではありますが、まるで物乞いに話を聞くような臭いをかいでしまいます。他にもっと伝えるべきことがあるのではないか?
私が一番心を打たれた被災者の言葉は地震翌日だったと思います。
40代くらいの眼鏡をかけたしっかりした印象の女性が、マイクにこう語りました。
「地震が起きた時は、自宅から離れた職場にいたから津波から逃れられた。でも、家には主人と二人の子供がいた。でも、家は流され、どこにいるのかわからない・・・。いやだよおー、一人ぼっちになっちゃう・・・・」
彼女は、最初は冷静に見えたのですが、「どこにいるのかわからない」と言ったあたりから震え始め、「いやだよお」と言うときは、嗚咽していました。自分が生きていても、家族が亡くなってしまえば、それは死んでいるのと同じことだと言っているように感じました。人は一人では存在しえず、つながりの中でしか存在できない。それが突然断ち切れてしまう、その無念さというか恐怖に心を動かされました。インタビュアーは、何も言葉を発せられませんでした。
TVなどの取材映像では、真実はなかなか伝わりません。なぜなら、伝える側が当事者ではなく、まさしく「メディア」であり彼らのフィルターを通さずには伝えられないからです。
しかし、JKTSさんは正しく当事者です。今回に大震災では被災者が携帯電話などで移した映像もたくさん公開されています。生ではありませんが、たくさんの当事者が記録し、しかもすぐに世界へ公開したという歴史上初めての災害かもしれません。もちろん既存メディアも大挙して現場へ入り報道を続けています。あらゆる情報が入り乱れ、何が本当なのか、何を受け止めればいいのか、受信する側の情報処理能力が問われているような気がします。また、それは合理的判断だけなく、感情面特に共感力、さらに想像力が重要になっているようにも思えます。
JKTSさんの手記は、立場や役割などを考慮することなく丸裸の感情が素直に綴られ、それが読み手の共感力に強烈に訴えるのだと思います。「伝えること」の意味を考えさせられる思いです。
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