植松電機の植松努さんの講演を昨日聞きました。主催者から「日本一感動する講演会」との案内を聞き、そこまでいうのならと足を運んだのです。看板に偽りはありませんでした。
北海道の小さな町工場が宇宙開発を実際にやっています。世界中からエリート技術者を集めたのではありません。みんな「素人」でした。彼らが、ことごとく世間の「普通」の考えを打ち破ってきました。普通とは過去の多くの人々の経験に照らして、最も起こりうることだと定義できるでしょう。「普通、宇宙開発は高学歴の超エリート研究者が手掛けるもの」といった具合です。
彼らの原動力は、「好き」ということと、「そんなの無理」という言葉を徹底的に嫌うことです。「そんなの無理」で終わるのではなく、「だったらこうしよう」と考えることです。
植松さんのお話を聞いていて、一般的な「普通」は実は普通じゃない、人々が最大公約数に収斂しないと生きていけない特殊な環境における方便だったのではないかと思い至りました。例えば戦時中、銃を大量生産するにはみんな右利きでなければ不都合がある。だから左利きを「ぎっちょ」と呼び蔑む。「普通」は右利きなのです。また、稲作文化の日本では集団行動が不可欠で、普通に価値を置いたとも考えられます。
いずれにしろ、現在の環境において、「普通」は普通じゃないのです。だから、植松さんの言っていることは、実は「当たり前」のことです。なぜ、当たり前のことを言って、これだけの人々を感動させるのか。みんなが薄々感づいていたことを、真面目に本気で語っているからでしょう。裸の王様に裸だと叫んだ子供と同じようなものです。でも、大きな違いは、植松さん自身が本当の普通を実行して、結果を出していることです。そこに人々は勇気づけられるのです。決して評論家ではない。
多くの企業も、普通じゃないことを求めています。でなければ、イノベーションは生まれないからです。でも、社員には「普通」を求めます。矛盾しています。自律した社員になれと指示しても言うことを気かない社員はだめだ、と本気でいうのです。笑い話ではありません。
企業の中で、この滑稽だが深刻な問題に立ち向かうのが人事や人材開発の重要な役割だと考えます。
植松 努

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