めでたさも 中くらいなり おらが春・・・・
一茶ではありませんが、昨年の大みそかに高峰秀子さんの訃報を知り、今年の正月はそんな気分で過ごしました。このブログでも何度か触れましたが、高峰さんは稀有の人間だったと思います。思いつくままに挙げてみますと、
・子役から女優として大成した唯一の人
・女優としての役の幅の広さは他者を寄せつけず
・小学校も出ていないのにその文才は俳優の中でも一、二を争う
・5歳での子役デビューからずっと養母(母が子を養うのではなく)や親せきを養う
・最悪の家庭環境にも関わらずまっすぐに生きてきた
・日本初のフリー俳優(当時俳優はどこかの映画会社の専属だった)
・日本初の結婚記者会見を行う
・既に大女優だったにもかかわらず、当時助監督の
・梅原龍三郎が最も多くの肖像画を残したモデル
・骨董の目利き
・映画「東京オリンピック」の出来について市川昆監督を批判した河野一郎に対して、ただ一人市川擁護の論陣を張り、河野との対談でやりこめる。そして河野に、「高峰秀子と言う女は只者ではない。男に生まれていたら天下を取ったに違いない」と言わしめる
・引退後週刊朝日に連載した「私に渡世日記」が、日本エッセイスト・クラブ賞受賞
・料理本を出すほどの料理の達人
・映画で全俳優の衣装を担当するほどのファッション・センス
まだまだ沢山挙げられますが、沢木耕太郎が、「高峰秀子の最高の作品は、高峰秀子自身だ」と語ったように、卓越した人だったのだと思います。
彼女が引退したのは、1979年ともう30年以上も前で、その後一切公の場に姿を現しませんでした。従って、私自身同じ時代を生きているという実感はありませんでしたが、それでも同じ時代の空気を吸っているという、妙な連帯感のようなものを感じていました。しかし、それも2010年12月28日をもって感じることが叶わなくなりました。
ただただ冥福をお祈りするばかりです。
合掌
この写真は、成瀬巳喜男監督「女が階段を上るとき」のものです。銀座のバーの雇われママの役ですが、こういった複雑な役は天下一品です。

コメントする