アートという病:映画「ハーブ&ドロシー」を観て

人間にとってアートとは何なのか?

人間はなぜ所有したがるのか?

人間にとって仕事とは何なのか?

人間にとって金銭的価値はどのような意味があるのか?

 

 

こんな多くの疑問が、このドキュメンタリー映画を観ながら湧き上がってきました。郵便局を勤めあげたハーブと図書館司書をはやり定年まで勤めたドロシーは、一見するとNY在住の普通の、というよりはちょっと貧乏そうな老夫婦です。でも、この老夫婦はアメリカ有数の現代美術のコレクターなのです。

 

二人は若い頃から、ドロシーの給料で生活費を賄い、ハーブの稼ぎをすべて若いアーティストの作品につぎ込んできたのです。そして、集めた作品は一切売りません。作品の選定基準は、彼らの収入でも買えることとアパートに納まる大きさということだけ、あとは面白いかどうかで決めます。

 

そういうと、本当に売れていない貧乏作家から買っているようですが、必ずしもそうではありません。売れ出して値段が上がってからも、安く買い続けているのです。成功した作家も、昔の恩ゆえ安く売っているのではなさそうです。それは、彼らのコレクターとして、さらに人間としての姿勢にあるようです。買ったら売らないということ以上に作家の信頼を勝ち得ているのは、買い方です。彼らは、めぼしをつけた作家のアトリエを訪ねて、良さそうな作品を見せてもらって選ぶのではなく、出来るだけ全作品を見てから判断するのです。つまり、目の前にある作品を買うのではなく、作家の成長の歴史を理解して、その成長プロセスに重要な意味を持つ作品を選ぶことが多いようです。作家からすると、作品の買い手というよりは自分自身のすべて(過去のダメな時代含め)を包括的に評価してくれているという信頼感を感ずるのだと思います。

 

なので、作家とは家族ぐるみの付き合いになります。NYから離れたところに住む作家には、毎週のように電話をかけてNYのアート事情を詳しく話して聞かせたりもします。作家の目や耳の代わりも果たしているのかもしれません。作家のパートナーとも言えるでしょう。

 

映画では描いていませんが、ハーブの価格交渉は相当タフだという感じがしました。言い方は適当ではないかもしれませんが、買い叩いているような印象です。でも、作家は画廊より遙かに安く売ります。画廊がこの夫婦をよく思っていないというコメントも出てきました。そりゃそうでしょう。マーケットの外で勝手にやられてしまうのですから。でも、夫婦は明らかに利益を追求していません。純粋にアートが好きなのです。病気といえるくらい。だから、アート関係者は彼らに敬意を払っているのです。

 

高齢の彼らは、作品をナショナルギャラリーに寄贈することにしました。狭いアパートから運び出すのに、一軒家の引っ越しの荷物を全部積めるトラックが、5台も必要だったそうです。寄贈を受けたギャラリーは、彼らの生活維持のためにいくらかの謝礼を支払いましたが、そのお金もすべて作品に代わってしまい、また広くなりかけたアパートのスペースを埋め出したそうです。いずれその作品もナショナルギャラリー行きになることでしょう。

 

ハーブとドロシーという人間自体がアート作品というしかないですね。これだけ幸福な人生は、そうはないでしょう。


温かくかつすがすがしい、でもちょっとだけ考えさせられる映画です。

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このページは、福澤が2010年12月10日 16:41に書いたブログ記事です。

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