現在、神保町シアターでは、映画監督小津安二郎の全劇映画36作品を連続上映する企画が開催されています。先日、早速観にいってきました。

「出来ごころ」という昭和8年の作品を観たのですが、これはサイレントつまり音がなく映像だけの映画でした。台詞は、文字が適宜表示されますが、そう多くはありません。洋画の字幕とは違います。
今回の企画が素晴らしいのは、キーボード奏者が生演奏でずっと音楽を奏で続けてくれることです。映画のオープニングシーンは、講談のようなものを小屋で聴いている場面でした。当初、ピアノ風の演奏だったのが、最初のシーンが現れた時から、三味線風の演奏に変わったのです。電子オルガンなので、そんな芸当もできるのです。真っ暗な中、小さなピンライトだけでよく弾けるものです。
生演奏付きサイレントは初めての経験でしたが、すぐに慣れることができました。文楽の三味線と同じように、音楽ではなく状況を描写している音として聞けば違和感はありません。白黒の映像と生演奏の音楽が、全く違和感なく融合していました。贅沢なものです。
さて、映画はいわゆる父子ものでしたが、彼らを取り巻く下町の庶民が、すごくいいのです。貧しくても、時にはめを外したりおめかししたりして、メリ貼りを持って暮らしています。また落語にあるような長屋暮らしは、近所はみんな家族のような関係です。そんな暮らしですから、他人の目を気にしますし、人様に迷惑をかけることを恐れます。面倒くさそうではあるのですが、「恥」の意識が強く自分に対して厳しく生きているのです。
主人公(ビール工場工員の喜八)の子供が病気になり医者代が工面できず困っていました。工員仲間で長屋の隣人の次郎、飲み屋の女将、そこで働く喜八が密かにではなく、大っぴらに思いを寄せる若い娘春江、床屋の親父など、みんながなんとかしようとします。結局床屋が金を貸してくれて、子供は助かります。しかし、返済のあてはありません。床屋は返してくれなくてもいいと言うのですが、喜八はそれじゃあ気が済まないと、子供を置いて北海道の漁場に旅立っていきます。(銚子にもつく前に、船から飛び降りて戻ってしまいますが)
そこに流れているのは、損得や打算とは正反対の、「恥」「プライド」「沽券」「矜持」といった、今ではあまり聞かれることがなくなった自意識です。喜八だけでなく皆の意識にそれがあるのです。そんな人間関係が、昭和の初めには当たり前だったのでしょう。今の時代なら、ちょっと噓くさく感じるでしょう。昔の映画を観ることで、昔の空気を感じることができます。そして、そこから現在を振り返ることもできます。だから、映画は面白いのです。
コメントする