講演の難しさ

一方通行の講演とインタラクティブに進める研修、どちらが講師として難しいでしょうか?私は、演者としても企画者としても講演の方が難しいと感じています。研修であれば、受講者の発言や反応で、進め方や内容の修正は十分できますが、講演の場合は、いったん始めれば修正ができません。

 

従って、講演の勝負は事前情報の把握で大方ついてしまいます。受講者の期待は何か、どの程度の成熟度なのかを見極めておくことが重要です。それがずれてしまうと、「自分達と時代も業界も違い過ぎるので役に立たない」と言われたり、あるいは「机上の空論だ。現実はそう簡単ではない」といった反応をもらうことになります。

 

受講者の成熟度とは、講師の話に関連する体験を持つかどうか、講師の体験談や自分の経験を概念化できるかどうか、講師の話を自分の問題に結びつける感受性をもつかどうか、といった点で評価できるでしょう。

 

さて、講演で講師が話すパターンは、以下3つのうちのどれかです。

①自分の体験談をなまなましく語る

②自分の体験に基づいて概念化した持論を解説する

③一般理論を(多少の解釈を加え)解説する

 

①体験談にフィットするのは、その講演テーマに対して必ずしも明確な問題意識を持っているわけではないが、成熟度が非常に高い受講者です。自らの体験と照らし合わせて、自分自身で概念化できます。聞き手に概念化を委ねることで、最も大きな学びを促すことができます。学びの材料をできるだけたくさん提供することが喜ばれ、そしてなまなましい体験談の情報量は非常に多いのです。

 

②体験に基づく持論にフィットするのは、問題意識を持って聴き、成熟度もある程度高い受講者です。講師の持論の範囲内ではありますが、自分の経験と重ねることで共感を得て腑に落ちるので、情と理の両面から納得感が高くなります。

 

③一般理論にフィットするのは、問題意識は持っているもののあまり成熟度が高くない受講者です。わかりやすく解説してくれて、理論を理解し使えるようであれば使いたいと思っています。講師の体験の多寡はあまり関係ありません。ビジネスHow-to書を求めるのと同じ感覚かもしれません。一方、問題意識が明確で成熟度も高い受講者が、「一般理論」にフィットすることも多いです。大学教授の講演を聴いて「目が啓かれた」と自叙伝に書いている著名な経営者は大勢います。自分と結びつける能力が高いので講師の体験は問いませんが、講師の理論理解に「深さ」を求めます。

 

 

講演も研修も、講師から受講者へ何らかの情報を提供することで、受講者の内面に心理作用を起こし、その結果として意識や行動に「変化」を促すことと言えると思います。内面での心理作用の起き方は、その集団の特性に応じて異なるので、それを踏まえての設計や対処が、プロの講師と企画担当者には求められます。「講演は、全員を満足させようと思う必要はない。わかってもらいたい人に伝わればいい」という人もいますが、一人でも多くの人を満足させることを目指す努力はすべきだと思います。

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このページは、福澤が2010年11月 5日 14:19に書いたブログ記事です。

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