ゼネラリスト復活?

私が人材開発の仕事に関わるようになった90年代前半、「ゼネラリスト」や「総合(商社や電機など)」という言葉は、強みがない事の象徴のようだったような気がします。スペシャリストや専門化を追及することが正しいと。それまでの反動もあったのでしょう。クライアント・サーバー・システムの浸透と並行したかのように、企業組織の分散、分権化が進み、数多くの子会社が設立されました。

 

しかし、近年は子会社の統合や本体への吸収が、急速に進んでいるように思いますます。パナソニックがその代表でしょう。部分最適より全体最適を追及するようになったのです。

 

そもそも、90年代に分散が進んだのは、そのほうが起業家精神が発揮されやすい、意思決定スピードが速まる、社員のコミットも深まる(上場すればなお)、といったメリットの追求でした。大きな絵を描くよりも、それぞれの小ユニットが頑張れば、その集合体は結果として強くなる、という前提があったのでしょう。

 

そして現在。上記メリットを上回る統合の効果が、きっと見出されたのでしょう。私には、まだよく見えませんが・・。

 

いずれにしろ、全体最適を求める経営にシフトしたとすれば、必要とされるマネジメント人材像も変わることでしょう。それは、大きな絵を描く構想力や、利害や強みの異なる組織や人材を束ねて大きな仕事をさせるプロデュース力などでしょうか。これが本来のゼネラリストの仕事です。

 

ただ、これは元来もっとも日本人が苦手とする能力です。日本人は、ミクロを積み重ねて最終的にマクロができてしまうのは得意です(日本建築が 桂離宮.JPG  そうですね)。しかし、マクロを構想した上で、ミクロに分解していくのは大の苦手なのです(日本外交がまさにそう)。

 

しかし、戦略のかじを切ったのなら、組織や人材もそれに適合せざるをえません。そこに大きなチャレンジがあるように思います。

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このページは、福澤が2010年8月18日 15:08に書いたブログ記事です。

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