最近、GNP世界第二位の座を中国にいつ追い抜かれるか、といった記事が散見されます。また、失業率の変動にも一喜一憂しています。なんとなく、へんだなあと思っていました。
人口13億人の中国と一億人強の日本のGNPを比較することにどんな意味があるのか。さらに、数ポイントの失業率の変動よりも、最近とみに日中多く見かける年金受給対象の高齢者の増加、すなわち労働人口の減少のほうが、はるかに経済へのインパクトが大きいのではないかと感じていました。しかし、政府の政策目標は、GDP総額であり失業率低下にあります。
そう思っていたところ、的確な解説を発見しました。日経朝刊3/12の「大機小機」の「人口減少時代の経済目標」というコラムです。
人口減少社会において、一人当たり所得が不変であってもGDP総額は減少する。ところが、一人当たり所得さえ同じかまたは増えるのであれば、経済規模は縮小しても構わないのだ。問題は一人当たり所得であって、経済規模は我々の福祉水準とは無関係なのである。
しかも、その一人当たりGDPは、08年のレベルが96年よりも低く、ドルベースで国際比較するとOECD加盟国中19位というありさまである。
雇用については、失業率ではなく就業率(人口に占める就業者の割合)を目標とすべきだ。(中略)この失業率が低い方が良いことは当然だが、人口減少社会において問題となるのは、「働く意思を持つ人々」がどの程度存在するかなのである。
人口減少経済においては、放置していると少子化と高齢化の進展により就業率が低下する。すると、就業者一人当たりの付加価値生産額(生産性)が同じでも、国民一人当たりの所得は低下してしまう。
これを防ぐには、就業者一人当たりの生産性を高めるとともに、女性や高齢者の就業率を引き上げることによって、働く意思を持った人の数を増やさなければならない。
中国との順位争いや、失業対策、少子化対策ばかりにかかずらわっていても、日本経済の将来像は見えてきません。今の日本が追い求めるべきなのは、規模ではなく質であり、単純な成長ではなく豊かさを実感できるための成長であるべきです。
マクロの環境が大きく変われば、目標とすべき指標も変えるべきです。しかし、長く、人口増加やインフレが当然だった時代を生きてきた人間にとって、その前提を変えることは至難の技なのです。
目標指標はトップしか変えることはできません。歴史観と批判的思考力を持ったトップこそが、将来のビジョンを示し、その到達に資するあらたな目標を設定すべきです。
それができない場合は、政府であろうが企業であろうが、ガバナンスを変えるしかありません。昨年の政権交代は、そういう文脈の中で実現したと理解しているのですが・・・。
政官とのもたれあいの中でコントロール不能になったJALと、現在の日本がだぶって仕方ありません。
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