演劇の力:「シャドーランズ」を観て

昨晩、加藤健一事務所による「シャドーランズ」を観ました。正月から、人間の死と愛をテーマとした重い芝居でした。

 

いろいろ考えさせられましたが、二つの台詞(うろ憶えです)が印象に残っています。背景には、カソリックの教義があるようです。

 

 

「元来、人間は石のようなものだ。神がノミで削りながら、完成させていく。だから、痛いのは当たり前だ」

 

「苦労は買ってでもしろ」と日本でも言いますが、それと表面的には同じような意味でしょうか。ただ、映像をイメージさせるこの台詞には、説得力があります。死ぬまで完成はしないのでしょうが、少なくとも少しずつは完成に近づきたいものです。そう思わされました。

 

また、痛みの積極的な意味合いを気づかせてくれます。今の世の中、痛みを抱えない人はいないでしょう。痛みをポジティブなものにするか、ネガティブなものにするかは、その人次第です。勇気を与えてくれる言葉です。

 

 

「神に祈るから神が願いを叶えてくれるのではない。それなら、神が取引をしていることになる。祈ることによって、自分が変わるから願いが叶うのだ」

 

他力による自力とでもいえるでしょうか。以前、「われは木偶なり」という言葉について書いたことがありますが、それにも通じるものだと思います。祈るという謙虚な行為が、邪念を振り払い本来の自分に立ち返らせてくれるのでしょう。

 

これを読んでおられる方は、そんなの当たり前だ。あえて書くほどのこともないだろう、と感じていらっしゃるかもしれません。それは当然です。私は、昨晩観た芝居を思い浮かべながら書いているわけで、そのコンテクストをあなたと共有できるとは思えません。言い方を変えれば、演劇の力が、強い説得力の源泉にあるのです。

 

 

ところで、組織文化を変えることは非常に難しいことです。変えることの必要性をどれだけ合理的に説明されて、頭で理解したところで一人一人のマインドセットはなかなか変わりません。

 

合理性ではない物語や演劇の力が、企業変革や組織開発には欠かせないことを、あらためて確認した思いです。(ちょうど組織文化変革について考えていたので・・・)

 

シャドーランズ.jpg

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このページは、福澤が2010年1月 8日 16:42に書いたブログ記事です。

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