厚生労働省は平成19年3月20日、インフルエンザ治療薬「タミフル」の輸入販売元の中外製薬に対し「10代の患者には原則として使用を差し控えること」と添付文書の警告欄を改訂し、緊急安全性情報を医療機関に配布するよう指示しました。
既に旧聞に属すかもしれませんが、この措置に対して、どう思いますか?10代の生命を尊重した的確な判断と思いませんか。一般には、そう捉えられているようです。
本当にそうでしょうか?タミフルを服用していれば、治ったかもしれない患者のことは考慮に入れられていないようです。異常行動というマイナスの可能性と、薬で治るというプラスの可能性、その両方のバランスをどう取るかといった判断に、社会の考え方が如実に表れるように思います。
日本は、マイナス方向のリスクを極端に避ける文化なのでしょうか。もし、そうだとしたら、それはなぜなんでしょうか?
ひとつには、マスコミの体質があると思います。少しでも防げたかもしれない事故が発生すれば、その責任追及は熾烈を極めます。一方、行動の結果としてプラスの成果があったとしても、あえてマスコミは報道しない傾向があるようです。マスコミが、責任追及をミッションとしているかのうようです。マスコミがそう行動するということは、それを人々が期待しているからだとも言えるでしょう。
もう一つは、機会損失という概念が、ほとんど浸透していないからだという気がします。もし、タミフルの服用を続けていれば、どれだけ若い人の生命を救えたか(実際は停止したため救えなかったが)という発想は、まさに機会損失の発想です。もし、・・・なら、という仮の話は、詮無いことだということなのでしょうか。ダム建設や予算消化など、政府に、そもそもそういう発想がないからでしょうか。合理的判断よりも、感情が社会を支配していると、言えなくもないです。
合理性だけでなく、また感情だけでもない。双方を十分に考慮した上で、判断する。そのためには、ぶれない価値観や哲学が必要です。それを、どこで身につければいいのでしょうか。深い人間洞察と経験と知恵、それらを兼ね備えた「老人」の出番かもしれません・・が・・・。
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