自己イメージとのギャップ

自分の声をテープで聞いたり、写したビデオを見ると、死ぬほどイヤじゃないですか?写真すら見たくないです。たとえ、傍から見てすごくきれいで魅力的な人でも、同じような反応を示しますよね。自分がなんとなく抱いている自分自身のイメージと、ギャップがあるからではないでしょうか。

 

また、お気に入りのレストランで、ある日突然味がおちたり、サービスが悪くなると、もう一切次から行きたくなくなりませんか。冷静に考えれば、おちたとはいえ、まだ他のよく行く店よりは、レベルが高かったりするにもかかわらず。

 

いまだにばたばたしている定額給付金ですが、手に入れるまでにすごく時間がかかって、もう忘れたころに受け取っても、たぶんたいして嬉しくないのではないでしょうか。驚きがなくなれば、もうけものだから散財してしまおうなんて思わなくなる。既にもらって当然のお金なんですから。

 

入社同期よりもわずかボーナスが千円多かっただけで、大喜びした人を知っています。

 

 

このように、ヒトは絶対基準で評価するより、自分が勝手に抱いたイメージと比べて評価する癖があるようです。それとズレているとすごく感動したり、逆に落胆します。

 

逆に言えば、自己イメージつまり期待値をいかにコントロールするかがポイントになってくるわけです。営業、マーケティング、交渉、部下管理、そして学習の場も。期待値のコントロールがうまくいくと、多くの問題は解決しそうな気がします。

 

 

ところで、先日教育系TV番組制作の方に伺ったのですが、90年くらい以降に生まれた人は、自分の映像や声に触れても、全く違和感を覚えないそうです。生まれた時から自分の姿を親に撮影され続けて育ったため、他者に映る自分のイメージと自分自身が抱く自己イメージが一致している(私たち大人は、そのギャップに嫌悪感すらいだく)からではないかとのことでした。だから、写されることも全然平気なんだそうです。ちょっと大げさですが、長い人類の歴史の中で、初めての人類なのかもしれません。このイメージの一致が、自分自身を客観的に見ること(物理的姿ではなくメタ認知のレベルで)にどう関係するのか、興味が湧くところです。

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このページは、福澤が2009年6月12日 11:14に書いたブログ記事です。

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