ゴッホは、浮世絵の大ファンでした。そしてついに、浮世絵に現れている日本の陽光に憧れて南仏アルルに移り住みました。そこで、描かれた作品群は、確かに光にあふれた名作ぞろいです。
でも、不思議でした。19世紀当時日本は、そんなに陽の光に溢れていたのでしょうか。今、目にできる浮世絵を見ても、ゴッホが感じたような光の色を感じることはあまりできません。どちらかといえば、くすんだ褪せた色しかないのですから。
浮世絵の顔料は、とても光に弱く、当時の色を維持していることは、ほとんど不可能なのだそうです。
昨年、江戸東京博物館でボストン美術館所蔵の浮世絵展がありました。それらは、所蔵されてからほとんど公開されていない作品群だったので、刷られた当時の色がかなり残っていました。ゴッホの感動が、少しですが共有できた気がしました。
明治以降、浮世絵制作の技はほとんど廃れてしまいました。だから、本当の意味でゴッホの感動を共有できるのは不可能かと諦めていたのですが、なんと日本でただ一人、その技を会得した作家がいることを、偶然昨年知りました。
立原位貫さんです。立原さんは、富山の旧家から見つかった浮世絵の版木から国芳の絵を、昨年かた今年にかけ国立歴史民俗博物館の依頼に基づき復刻しました。それが、NHK-hVで放送されました。(https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20090419-10-15004)情けないことに私の家のTVは、ハイヴィジョン放送は映らないので、5/16の総合放送番組を待っています。
その復刻浮世絵を観ると、こんなに浮世絵は鮮やかで明るいんだと感動します。確かに、当時の色彩感覚は今とはだいぶ違って大胆だったのです。ゴッホのみならず多くのフランス人がたまげたのも分かります。
先日、話題の阿修羅展を観てきました。奈良の興福寺では、何度も観ていますが、展示方法がまったく異なるため、新しい発見がたくさんありました。その中で大きかったのは、天平の仏像や彫刻に施されている色の鮮やかさです。奈良でよく認識できなかった色が、今回は、照明の工夫や、背後にも回って見られるため認識できるのです。十大弟子像も、老僧の衣装に残ったかすかな色から、なんて派手な僧衣をまとっていたんだと驚きます。想像する当時のイメージが大転換します。
現代から見ると、残っている遺物の色合いから、天平や奈良時代は枯れた色彩が中心だったように思いこんでしまいがちですが、全くそうではなかったのです。
やはり、本物に接することが大切なんだと、つくづく思います。
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