国立劇場での文楽二月公演の際に、竹本住大夫の近著「なほに、なほなほ」のサイン本を購入しました。数年前の「私の履歴書」をまとめたものです。新聞で読んでいたので、買うのを躊躇していたのですが、サインに負けてしまいました。
なほになほなほ―私の履歴書 (私の履歴書)竹本 住大夫

住大夫の大阪弁で半生が語られ、芸と人間性の内側が垣間見える楽しい本です。いくつか、心に残った話がありますが、その中でも襲名に関する話に、考えさせられました。
住大夫は、最初は古住大夫という名前でスタートし、その後、文字大夫を襲名し、そして昭和60年に現在の住大夫を襲名します。
文字大夫の襲名披露公演で、非常に難易度の高い出し物を語ることになりました。襲名披露で、恥をかきたくないと抵抗するのですが、師匠に押し切られました。しかし、本番では三味線や人形遣いの師匠らによって、これまで経験できなかった高みにまで登れたそうです。そして、「これが襲名というものなんや」とつくづく思ったそうです。想像するに、師匠連中が、これから自分の力で上がるべきハイレベルの世界を、文字大夫に垣間見せたのではないでしょうか。
一段階上の名前を襲名することを認めるのは、一座です。一座は、それを認めたからには全面的にバックアップします。襲名披露の口上では、舞台中央に本人が座り、その両側に一座の重鎮が並びます。そして、次々に重鎮が襲名を祝うと同時に、本人への支援を願い、観客に深々と頭を下げていきます。慣れない世界で一人立ちする息子への支援を頼む親の姿のようです。
この一体感が、襲名した芸人に覚悟を迫るのでしょう。親の期待に応えられない子は、この世界で生きていけなくなります。襲名は、ゴールではなくさらに高いレベルを目指すスタートです。
住大夫も、「名前がどうあれ、コツコツ勉強していくことが大事で、襲名は目的ではないんです。いうたら、『努力を重ねて、さらに芸を磨きます』ということを内外に宣言するのが襲名やと思うております。」と述べています。
これまで襲名披露を何度か観る機会がありましたが、確かにその後、芸の質が一段階上がるように感じます。本当に芸のレベルが上がったのか、それとも私の見方が変わっただけなのか、それははっきりわかりませんが・・。文楽に限らず、日本の古典芸能の世界における襲名という仕組みは、組織のスキルレベルの維持向上、一体感の醸成、新陳代謝などに、非常に有効な役割を果たしていると思います。
ところで、日本企業では、かつて社員を名前でなく、役職で呼ぶことが一般的でした。部長、支店長、課長など、私もかつて上司を役職で違和感なく呼んでいました。時代も変わり、残念ながら、私は呼ばれた経験はありません。だから想像するしかないのですが、きっと昇進し新たな役職で呼ばれることは、襲名と同じように、自分自身をもう一段階上のレベルに引き上げることを宣言する、覚悟を決めることだったのでないでしょうか。上も、決めたからには支える。部下や同僚も、これまでとは異なる見方をするようになる。そうして、そのような組織全体の雰囲気というか圧力が、期待を現実のものに変えていったように思えるのです。
役職で人を呼ぶことは前時代的であり、「さん付け運動」を進めるべきだと、私も考えていました。でも、もしかしたら、それは違うのでは、と近頃思うのです。
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