音楽から学ぶ:「25年目の弦楽四重奏」を観て

ベネズエラ発の子供のための音楽教育「エル・システマ」 は、「楽器で世界を変える」のスローガンのもと、世界中に広まりつつあります。貧しい子供たちも、合奏することで規律や他者への尊敬、自己肯定感、協調などを学び、積極的な人生を歩めるようになるそうです。(来月、日本でも演奏会があります)


ところで、25年間も弦楽四重奏団(フーガ弦楽四重奏団)として活躍してきた成熟したプロの音楽家4人の関係性の波紋を描いたのが本作品「 25年目の弦楽四重奏」です。最年長で支柱となっているピーター(クリストファー・ウォーケン)の病気をきっかけに、微妙にハーモニーが狂っていく。しかし、ずれてしまった関係を再び取り戻すのも、合奏だったようです。明確には語られていませんが、引退を告げる素晴らしい演奏会で映画は幕を閉じます。

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子供たちを成長させ結びつける合奏も、プロの演奏家となればそう単純でもない。能力と生活、感情などが複雑に絡み合うのですから当然です。

 

映画の中で、音楽大学の教授も務めるピーターが、上手くないクラスメイトの演奏を罵倒する学生を諌める意味でこんな話をします。

 

「私が学生のころ、パブロ・カザルスの前で演奏する機会があった。緊張しまくった私は、最悪な演奏をしてしまった。それを聞いたカザルスは、素晴らしと誉めもう一曲弾いてほしいという。さらに緊張した私は、もっとひどい演奏。でも彼は、再び素晴らしいと誉めた。私は彼の不誠実な対応に落ち込むと同時に彼を恨んだ。本当にひどい演奏だったのだから。時を経て、私はプロの演奏家となり彼とも同じ舞台に立つようになった。親しくなったある晩、バーでおもいきって彼に聞いてみた。なんであの時私を誉めたのか。すると彼はチェロを出して弾きだし、言った。あの日君は、こんな風にダイナミックに弾いていた。私にとっては、斬新で大いなる発見があったんだ。私はそれでも尋ねた。そういう部分もあったかもしれないが、でも他は最低の演奏だったでしょう?彼は言った。下手なところをあげつらって批判するようなことは、程度の低い輩に任せておけばいい。君には、私を刺激するところがあったのだ、それで十分だろ」(うろ覚えなので、不正確ですが)

 

このピーターの言葉、学生の心に残ったことでしょう。私の心にも刺さりました。自分は程度の低い輩になっていないだろうかと。

 

弦楽四重奏団もピーターの引退話をきっかけに、それまでの均衡が崩れ、お互いの欠点を攻撃しあうようになってしまったのです。ピーターは他のメンバーに上記の話を語ったわけではありませんが、私にはこの合奏団に対しての言葉のようにも、さらにはすべての人間に対する言葉にも聞こえたのです。

 

メンバー間で殴り合いとなった場面で、ピーターはこう一喝します。「音楽に敬意を払え!」

そこから関係性がまた動いたように思います。

 

全員が共有しているはずの「音楽への敬意」を全てに優先すべきであり、そのためには我欲や邪念や煩悩をいったん横に置き、他者の素晴らしい点を活かすことに集中する。それをピーターはメンバー達に思い起こさせたのではないでしょうか。最後の演奏会の場面では、新しい関係ができあがり、新しい音が奏でられたに違いありません。

 

時間の芸術である音楽は、時間に抗えない人生と重なる部分が多いように感じます。だから人は音楽から多くのことを学ぶことができるのでしょう。

 

 

おまけ:エル・システマについての翻訳書(友人が翻訳しています)が最近出版されました。

世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ: エル・システマの奇跡
トリシア タンストール Tricia Tunstall
4492443991

 

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このページは、福澤が2013年9月11日 17:32に書いたブログ記事です。

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